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つながりのデザイナー -『コミュニティデザインの時代』 山崎亮

 03, 2015 23:33
コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書)
山崎 亮
中央公論新社
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「ものをつくらない」、新たなデザインの可能性

 「コミュニティデザイナー」というこれまであまり耳になじみのなかった言葉を聞いて興味を持ちました。本を読んでみると、コミュニティデザイナーを名乗っている本人もその定義をすることには戸惑うようです。

 まだまだ知名度は低いですが、「コミュニティデザイナー」はとても素晴らしい仕事だと感じました。ですが、著者はコミュニティデザイナーの知名度を上げることを目標にしているではありません。コミュニティデザイナーという肩書きが消えること、それこそが著者の掲げる目標です。



つくらないデザイナー



 著者の山崎亮さんは、「studio-L」という団体の代表を務めておられます。そしてこの団体が、本書のテーマである「コミュニティデザイン」を行うため、全国津々浦々を飛び回っているのです。「コミュニティデザイン」とはいったい何なのでしょうか。

studio-Lの代表である山崎亮は、設計事務所に勤め建築やランドスケープのデザインの仕事にかかわっていました。あるとき、公園に来てもらうためのプログラムを公園自ら考えて運営していく仕組みをつくる、有馬富士公園のパークマネジメントの仕事にかかわるようになります。それは、建物や公園という「ハード」の物理的なデザインを変えることよりも、その場所を利用し自ら運営するコミュニティ=「ソフト」のマネジメントをしていく仕事でした。人のつながりが失われていく社会状況のなかで、コミュニティがもつ力こそ、状況を変えていく鍵なのではないか、と感じるようになります。

( 「studio-L /about us」 http://www.studio-l.org/about/ )



 いわゆる「ハード」「ソフト」という区分における、「ソフト」の部分をデザインしていこう、という仕事です。デザイナーというと、何かものを作る人というイメージが強いです。ですから、自分は「ものをつくらないデザイナー」である、という本の中での山崎さんの宣言には驚きました。

 山崎さんは、コミュニティデザイナーとは「人のつながりをデザインする仕事」、「地域に住む人たちが、その地域の課題を自らの力で乗り越えることをお手伝いする仕事」である、と述べています(p95)。もののデザインではなく、「つながり」「アクティビティ」をデザインしていく、というのです。初めて聞く言葉ですが、何だかワクワクしてきます。

 私は「コミュニティデザイン」という言葉を聞いても最初はピンときませんでした。本を読んでいると、どうして自分がそうであったのかを思い知らされます。

 私には、「自分も『まちづくり』の主役である」という自覚が全くなかったのです。そして、私のような人間もまちづくりに巻きこんでいこう、というのが山崎さんの仕事でしょう。その仕事がいかに素晴らしいものか、そして必要とされているものか、山崎さんは熱く語ります。

市民がまちをつくる



 「まちづくり」というと、一部の志ある人たちが、あるいは行政が主導していくもの、というイメージがありました。自分もその「主役」である、などと言われると、かなり萎縮してしまうでしょう。

 しかし、いつまでも他人事として傍観していてはいけないのだと思います。昨年大きな話題になったのでご存知の方も多いと思いますが、日本の多くの自治体が「消滅可能性都市」であるという衝撃のデータが示されました。自分たちの暮らすまちがなくなる、などというと突飛な話に聞こえますが、20年後、30年後、それは現実になろうとしています。

 最近、私の通っていた保育園と小学校が相次いで閉園、閉校しました。あまりにもタイミングが近かったため、かなりの衝撃がありました。「自分のまちが消滅する」、その可能性が身に迫ってきました。ですが、私の地元は「消滅可能性都市」には入っていないのです。ということはつまり、「もっと危機的な状況にある市町村が日本には山のようにある」ということです。

 人口の減少について調べてみると、絶望するような数字が出てきて震えます。この本でも、そんな現実が突き付けられます。そのうえで、山崎さんはこう指摘します。

人口が減少していることを嘆くだけでなく、それぞれのまちや流域で生活できる適正な人口規模を見据え、その人口に落ち着くまでのプロセスを美しくデザインすることが肝要である



 たしかに人口の減少は深刻な問題ではありますが、どうにもならないというか、受け止めなければいけない段階にきています。この本を読むと、まちの存続は「コミュニティデザイン」にこそかかっている、そう思わせるのです。

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 本の後半では、実際の「コミュニティデザイン」の事例を取り上げながら、その可能性について明らかにしています。事例の詳細についての説明は本に譲ることにしますが、ここではコミュニティデザインの魅力のうち、コミュニティデザインが生み出す「豊かさ」について触れておこうと思います。

自分たちが楽しむために集まっていて、さらに活動することによって自分たち以外の人たちも楽しませようとしている。そのことが公園やまちを楽しい場所にすることになれば、そこを利用する人たちから感謝されることになる。(p78)



 コミュニティデザインを通してまちに活気が生まれ、つながりが創出されていくようすは読んでいて大きな希望を感じるものでした。人口が減少して存続の危機に瀕しているまちに足りないのは、ひとの数ではなくて、「つながり」のほうなのかもしれません。山崎さんはこう続けます。

感謝されると本人たちは嬉しくなってますます活動が活発になる。その間に仲間が増え、役割が増え、さらに感謝されることが増えていく。これは「豊かな人生」につながるのではないか、と考えるようになった。



 私もまちづくりのイベントに参加したことがありますが、その時に感じたのはまさに上で言われているようなことです。まちづくりというのは、決して一部の志の高い人たちだけが従事することではありません。自分の地元の存続がかかっているということもありますが、何よりまちづくりは人生につながっている、ということが重要です。

 自分たちで「まち」をつくる―何か崇高なことを掲げているように思えるタイトルです。ですが、このタイトルは別の言い方に変えることができるのではないでしょうか。「自分の人生を豊かにする」―そう思うと、まちづくりという遠くにあった概念が、「自分の問題」として近づいてきます。

ふるさとのありがたみ



 本の終盤、山崎さんは「ふるさと」について語ります。幼いころから転校を繰り返していたという山崎さん。自分の「ふるさと」について聞かれると困るそうです。そして、「ふるさと」に憧れがあると言います。また、「ふるさと」のことを悪く言う言葉を聞くのは辛いと言います。

 そのような「ふるさと」への憧れが山崎さんを動かしていたのだと分かると同時に、私は自分のことを省みて恥ずかしくなりました。ふるさとがあることが当たり前で、そのありがたみなど考えようともしなかったからです。

 「何もないところだから…」

 いつも私はそう言ってふるさとを卑下してしまいます。都会と比べると、何もかもスケールが小さくなってしまいます。だからといって、何もないということはないでしょう。何もないのではなくて、私が「何も見つけていない」のです。これは反省しなければいけませんね。

 「いつかは、『コミュニティデザイナー』という肩書が消えるように・・・」

 山崎さんはそう述べます。コミュニティデザイナーが主導していくのではなく、最終的には地域の人たちが「自然に」つながり、協力していかなければいけないからです。地域の人たちが自然につながっていくと、たしかに「コミュニティデザイナー」という仕事は不要になりますね。

 私たち1人1人が自分のまちを「デザイン」していく―その可能性を感じました。そのまちで生まれたということを、もっと大切にしようと思います。そして、自分のまちのことを思う時間を増やして、行動に移していこうと思います。

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 つながりの大切さが、最近改めて叫ばれるようになってきました。私も切実に感じています。孤独死のニュースなどを見ると、その大切さを痛感します。つながり=命といってもよいのではないでしょうか。



オワリ

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 記事の中に出てきた「消滅可能性都市」というのは、この本に出てきます。昨年大きな衝撃をもって社会に広がった新書ですね。自分たちのまちが消滅する、ということに実感がわかない方は、この本から読み始めてみるのはどうでしょうか。
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  •   03, 2015 23:33