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  • 宮沢賢治・イーハトーヴへの旅 #15 『よだかの星』

     27, 2015 00:00
    イーハトーヴ

    を燃やすということ

     宮沢賢治の作品は美しくも残酷です。息をするのも忘れるような美しい描写があるかと思えば、息が止まるような残酷な場面もあるのです。ではなぜ、美しさと残酷さの両方が存在し得るのでしょうか。美しさと残酷さ、その双方をあわせ持った行為とは、存在とは、いったい何なのでしょうか。

     今日紹介する作品は、そんな宮沢賢治作品のテーマに迫れる作品だと思います。この作品も、やはり美しく、そして残酷なのです。何が美しいのだろう、何が残酷なのだろう。今日は、そんなところに注目して読んでいきます。

    (約3900字 / 7分50秒)



    昇華する自己犠牲



    よだかの星 (日本の童話名作選)
    宮沢 賢治
    偕成社
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     今日紹介するのは『よだかの星』です。1921年ごろに執筆されたとされ、宮沢賢治の代表作の1つに数えられます。

     これまで紹介してきた作品の中で、宮沢賢治の作品の中に出てくる「自己犠牲の精神」については何度も触れてきました。自分の体などどうなっても構わない、自分の命などどうなっても構わない。だから、人々に幸せをもたらしてくれ・・・。宮沢賢治の童話に出てくる登場人物は、あまりにも残酷な運命を背負い、溢れんばかりの悲哀と共に自らの身を投げ打ってきたのです。そのたびに、読み手は打ちのめされるようなショックを受け、しかしそれと同時に心が洗われるような感覚もまた訪れてくるのです。

     自己犠牲の精神を抱いていたのは、物語の中の登場人物だけではありませんでした。宮沢賢治自身もまた、生涯にわたり自己犠牲を自問し続けてきたのです。彼は、自分が生まれて来たことを罪だと捉えました。自分の存在自体、自分の人生そのものを罪だと捉えました。なんと壮絶なのでしょう。彼の人生は、その全てがあまりにも辛い「悲劇」だったのです。ですが、そうであったからこそ彼は素晴らしい物語を残すことができた、ということもまた真実です。

     自分の存在自体が罪

     そのことの壮絶さが想像できるでしょうか。自分の存在自体が罪ということは、自分の人生はそれがまるごと「罰」のようなものでしょう。生きながら苦しみ続けなければいけないのです。そして、最後は罪を償うために自分の命を投げ打つしかないのです。この世にこれ以上の悲劇があるでしょうか。

     『よだかの星』にも、自分の存在自体を罪だと思い、そして自ら命を燃やすよだかが登場します。よだかが自分の身を燃やし、星になるために空へと昇っていく場面は宮沢賢治の作品の中でも屈指の名場面に数えられます。今日はその場面を中心に見ていくことにしましょう。

    自己否定の成就



    よだかは、実にみにくい鳥です。顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。



     冒頭でこう語られるように、よだかはその醜さゆえに他の鳥たちから蔑みの目線を浴びることになります。しかも、彼の名前は「よだか」。強い羽根を切って飛ぶ様子や鳴き声の鋭さから、彼は立派な鳥「鷹」の名前の一部をもらっていたのです。醜い鳥なのに、名前に「たか」が付いている―なんて生意気な奴なんだ、そうやってよだかはますますいじめられることになります。

    「おい、居るかい。まだお前は名前をかえないのか。ずいぶんお前も恥知らずだな。お前とおれでは、よっぽど人格がちがうんだよ。」
    「いいや。おれの名なら、神さまから貰ったのだと云ってもよかろうが、お前のは、云わば、おれと夜と、両方から借りてあるんだ。さあ返せ」



     よだかのもとにやってきた鷹が言い放ったせりふです。よだかが受けた様々な仕打ちの中でもっとも残酷なものと言えます。彼は、「よだか」という大切な自分の名前を奪われることになります。自分の存在自体を否定してしまう、そんな自己否定の精神が高まっていたところに、とどめをさされるようなものでしょう。

    「だってそれはあんまり無理じゃありませんか。そんなことをする位なら、私はもう死んだ方がましです。今すぐ殺してください」



     追いつめられたよだかは、自ら死を選ぶことを決意しました。太陽や星が待つ空へ昇ろうとしたのです。たとえ、自分の身が焼けてしまったとしても・・・。

     この作品は、長く教科書に掲載されてきた教科書文学でもあります。よだかがいじめられ、自分の存在自体を否定していく前半部分から、いじめの残酷さを伝えるテキストとして用いられることも多いようです。

     たしかに、いじめの残酷さを伝えるためには格好のテキストだと思います(子どもたちにとって残酷すぎるかもしれませんが・・・)。いじめは、人間そのものを壊してしまいます。このよだかのように、自分が生きていることを責め、自ら命を絶った子どもも大勢いるでしょう。謝ろうが、壊したものを弁償しようが、決してそれは取り返しのつくことではありません。

     そんないじめの残酷さについて噛みしめた上で、物語は後半に入ります。美しさと残酷さが混ざり合う、鳥肌が立つような場面です。

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     よだかは、太陽や星のもとに昇ろうとしました。たとえ自分の身が焼けても構わない、そんな悲壮な決意を抱いて・・・。

    「お日さん、お日さん、どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい。」



     覚悟を決めたよだかのことばは、あまりにも強く、それでいて儚い。このあたりまでくると、私はもう口にする言葉を失っていました。より悲惨なのは、決意をしたのにもかかわらず、それでも彼が無下にされるところです。「たかが鳥のくせに何を言っているんだ」、彼はそう言って追い返されそうになります。

     すべてを失ったよだかが羽をとじて地に落ちていこうとした時、彼のからだがのろしのように天に昇って行きました。そうです、ついによだかの命に終わりがやってきたのです。よだかは最後の力を振り絞ります。まさに命の炎を燃やし尽くそうとするのです。この後の場面を読むとき、体に立った鳥肌が最後まで消えることはありませんでした。

    栞 宮沢賢治

    よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがってはいましたが、たしかに少しわらって居りました。



     この場面は見事です。宮沢賢治の手に神が宿ったような、そんな場面だと思います。何が見事かというと、「混ざり合い」です。自分の命を燃やして天に向かおうとする残酷さと、自分の命を燃やして「まで」天に昇っていく美しさが、見事に混在し、重なり合っているのです。死という結末は一番残酷なものではあるのですが、よだかは「やすらか」で、「わらって」すらいるのです。辛い辛い人生だったでしょう。自らその命を燃やすという行為で、ようやく彼にも安息の時が訪れ、そしてようやく彼の存在は肯定されたのです。

     「美しさ」と「残酷さ」の混ざり合いを感じていただけたでしょうか。「のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも分からない」という描写は、そんな混ざり合いを表現したものではないでしょうか。

     この場面を読んでいると、いろいろな気持ちが掘り起こされます。よだかは、幸せだったのだろうか。最後に、自分が存在することの意味を見出せただろうか。命を燃やし尽くしたその瞬間に何を思っただろうか、何を見ただろうか。いろいろな思いがぐちゃぐちゃになって、胸がかきむしられるように痛い。そんな「ぐちゃぐちゃ」がこの場面を通して表現されているように私には思えます。

     美しさと残酷さの混在を描ききったこの作品は、文学としても最高の水準にあると言えます。上に引用した場面などは、文学の極致といっても構わないと思います。感情を掘り起こし、表現を突きつめて行った時にたどり着く最後の場所がこのような描写なのだと思います。

     宮沢賢治の作品には毎回圧倒されています。「自分の存在自体が罪」だった彼の人生は、どれだけ辛いものだったでしょうか。その残酷さに胸が痛みますが、それと同時に、彼がこのような素晴らしい物語を残したこと、そして神様が彼にこれほどまでの才能を授けたことを想うと、その奇跡にはただただ感謝するばかりです。

    燃えつづける星



    そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。今でもまだ燃えています。




     残酷な物語は、こう締めくくられます。冒頭から想像を絶するように厳しく残酷な状況が描き出されてきた中で、物語の中に唯一存在する「救い」と読むことができそうです。そしてその唯一の救いは、永遠の救いでもあります。

     よだかの星は「燃えつづけました」―この描写に、どれほどの力があり、そしてどれほどの勇気がもらえることか。

     体が燃え尽きてしまった、それ自体は重要なことではないのかもしれません。体というのは、単なる「入れ物」にすぎないのでしょう。体が消えてしまったとしても、命は燃えつづけます。「いつまでもいつまでも」「今でもまだ」、宮沢賢治はそう書くのです。

     冬は星空がとてもきれいですね。空を仰げば、私たちはいつまでも輝く星たちを眺めることができます。そんな星を見上げた時、ぜひこの「よだかの星」を思い出してあげてください。そして、今も空のどこかで輝くよだかに向かって、こうつぶやいてあげてほしいのです。

     意味のない命なんて、ない
     必要のない存在なんて、ない

    ◆殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『よだかの星』を「プラチナ」に認定しました。おめでとうございます。





    イーハトーヴ

    「宮沢賢治・イーハトーヴへの旅」旅程表

     「イーハトーヴへの旅」はこれが年内の最終回になります。そして、本のレビューを書くのも年内ではこれが最後です(記事はまだありますが・・・)。一年の最後、宮沢賢治・・・というところから私が連想したのはこの作品だったのですが、一年の最後にふさわしい内容になっていたでしょうか。

     このコーナーは来年も続きます。秋に「銀河鉄道の夜」のレビューを書こうと思ったのですが、泣き腫らしてぐちゃぐちゃになって結局記事にはできませんでした。ちゃんと落ち着いて思いを整理できるようになってから書こうと思います。

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    宮沢賢治,



    •   27, 2015 00:00
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