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教科書への旅 #19 新春スペシャル 『坊っちゃん』 夏目漱石(前編)

 03, 2016 00:00
教科書 新春スペシャル

 新年最初に紹介する本は、夏目漱石の『坊っちゃん』です。夏目漱石は今年没後100年を迎えます。節目の年ということで、今年は例年にも増して注目されることになるでしょう。

 没後100年を飾る最初のイベントとして、この『坊っちゃん』が今日1月3日にスペシャルドラマとしてオンエアされることになっています。『坊っちゃん』は新春ドラマにふさわしい、痛快で胸のすく小説です。そして、この作品は中学1年の教科書に掲載されている教科書文学でもあります。新年一発目の景気づけに、この小説を2回に分けて読んでいくことにしましょう。

(約3,300字)



滑稽なキャラたち



坊ちゃん

 新春からドラマ化される『坊っちゃん』ですが、改めて読み返してみると「ドラマ化するのになんてぴったりな小説なんだろう」と思って思わず笑みがこぼれてしまいました。そして、ドラマ化にぴったり、という印象を抱かせた原因は、あまりにも型通りに描かれる「キャラの滑稽さ」にありました。

 漱石が愛媛県の尋常中学校で教鞭をとっていた経験をもとに書かれた『坊っちゃん』。漱石の代表作の中でも、『こころ』などとは異なり、かなり通俗的な内容です。神経病をわずらっていた時期もある夏目漱石の小説というのは、読み手である私たちも頭を抱えてしまうような鬱屈さがあるのですが、この小説にはそのような鬱屈さは見られません。鬱屈どころか、とにかく痛快でテンポがいい。落語を聞いている時のような心地よさがあります。

 国民的小説なので、あらすじは解説不要ですね。先程も書いたように、キャラが型通りに描かれていて、大変滑稽なのが特徴です。坊っちゃん、赤シャツ、山嵐!頭の中に人物の姿がすぐに浮かんでくるくらい、キャラたちが典型的、漫画的に描かれていることが分かります。

 事なかれ主義の校長(狸)
 嫌味で陰湿な教頭(赤シャツ)
 教頭の腰ぎんちゃく(野だ)
 正義感はあるが、無鉄砲な主人公のよき理解者(山嵐)
 そして、人情味あふれる愛すべき江戸っ子、坊っちゃん

「来年の夏に帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今に色々な事をかいてやる。さようなら」



 登場人物をおさらいし、主人公の坊っちゃんが家の下女だった清(きよ)に書いた手紙を引用してみました。こうして並べてみると、登場するキャラクターたちは本当に型通りの描かれ方をされていますね。見た目や特徴から分かりやすいあだ名をつけるというのも、キャラクターに愛着を持たせる常套手段です。改めて整理してみると、夏目漱石の徹底した通俗性の追求に気付きます。
 
 そんな漱石の通俗性の追求が、何度でも読み返したくなるような魅力をこの作品に与えていることが分かります。私は上に、「落語を聞いている時のような」や「漫画的」という表現を用いました。『坊っちゃん』に落語や漫画のような面白さを感じる理由を、前編ではもう少し詳しく見ていくことにします。

天才の流麗



 『坊っちゃん』は大変通俗的な小説ですが、だからといって中身がスカスカだということはありません。1906年に発表され、110年経った今も読み継がれ、日本文学を代表する作品になっていることがその証拠です。たしかに通俗的で、難しい表現に頭を抱えることはありません。ですが、このような小説にも、夏目漱石の作家としての天才的な才能がいかんなく発揮されているのです。

 読んでいて直感で気付くのが、「この小説は短期間で、一気に書き上げられた作品だろう」ということです。一気に書き上げないと、この勢いは出ないと思います。夏目漱石が原稿用紙の上で勢いよく筆を運んでいた様子が目の前に浮かんでくるようです。

 作品から感じる通り、この作品は短期間で勢いよく書かれたものでした。岩波文庫版の解説で江藤淳さんが詳しく書いておられますが、原稿用紙215枚分ほどのボリュームがあるこの作品を、漱石はわずか1週間ほどで書き上げたそうです。

 そして、この作品は漱石が書いた原稿が現存しているのですが、原稿に推敲のあとがほとんどなかったことが明らかになっています。これは、漱石が勢いよく、まさに「気の向くまま」にこの作品を書き上げたことを証明するものです。キャラクターの書かれ方が典型的で、ストーリーもずいぶん直線的なのですが、この小説はなるべくしてそうなったのだと思います。勢いが途中でよどんでしまっては台無しでしょう。「一気に書き上げた」ことにこそこの作品の価値があるのだと思います。

いずれにしても、このような執筆の状況を一瞥すれば、『坊っちゃん』の最大の魅力となって全編を支えているのが、一気呵成な創作力の奔出から生れた歯切れのよい文体のリズムであることは、まず議論の余地があるまい。 (岩波文庫版解説・江藤敦さん)



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 特に、主人公の坊っちゃんとよき理解者、山嵐との会話が読んでいて一番心地いいです。二人ともちょっと向こう見ずなところはありますが、正直者で正義感あふれる好漢です。思わず手拍子でも打ちたくなるような小気味よい会話が続きます。

「ハイカラ野郎だけでは不足だよ」
「じゃ何と云うんだ」
「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モモンガ―の、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云うがいい」



 山嵐が教頭の赤シャツをこき下ろしている場面です。上にも書いたように、夏目漱石が一気にこの作品を書き上げたことがよく分かる勢いのある描写ですね。こういう描写の1つ1つも、とことんテンポよく、漫画的に書かれていることに気付きます。その徹底ぶりは「通俗小説の王様」とでも呼びたくなるような見事なものがあります。

典型はあこがれ



 『坊っちゃん』は、キャラクターもストーリーもとても典型的な小説であることはここまでで述べてきました。「お約束」とでも言えそうな、悪く言えば単純で直線的な、よく言えば痛快で伝統的な展開が続きます。

 「悪く言えば単純で直線的な」と私は書きました。自分で書いておいて申し訳ないのですが、これは全く持って的外れな批評だと思います。『坊っちゃん』を読んで単純で直線的だと批判する人はほとんどいないでしょう。むしろ、単純で直線的なものを最後まで書き通したことのすごさ、そして、単純で直線的なキャラクターとストーリーの先に見えてくる、私たちの「テンプレートへのあこがれ」に気付くことができます。

 話は変わりますが、藤子・F・不二雄さんの作品がいい例です。『ドラえもん』が一番有名ですが、藤子さんの作品はどれもキャラクターの設定がとても似通っていますね。のび太のようにひ弱だけど憎めない少年、ジャイアンのようないかにもなガキ大将、スネ夫のようなキザで嫌味なやつ・・・同じようなキャラクターがどの作品にも登場することにすぐ気付けると思います。

 それを、「藤子・F・不二雄の作品はどれも似通っていてつまならい」という人は少数派でしょう。「どれも似ているけれど、どれにも親しみが持てる」と思う人のほうが多いのではないでしょうか。それは、私たちの頭の中には、どこか安心して寄り添いたくなる「キャラクターのテンプレート」「ストーリーのテンプレート」があるからです。そういうテンプレートをしっかり掴まえた作品は、時代を経ても、国境を越えても全く魅力が色あせません。私は、『坊っちゃん』にも『ドラえもん』と同じ匂いを感じます。

嘘を吐いて罰を逃げる位なら、始めからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰は御免被るなんて下劣な根性がどこの国に流行ると思ってるんだ。



 主人公の坊っちゃんが子どもたちのいたずらに腹を立て、罰を与えにゃならんと憤慨する場面です。坊っちゃんというのは、異常なほどの正義感の持ち主で、曲がったことが大嫌い。この短い引用だけでも、作品から感じる「心地よさ」が伝わるのではないでしょうか。

 どうして私たちはここまで『坊っちゃん』にあこがれ、この作品を読み続けるのでしょう。後編では坊っちゃんの言動や行動を詳しく見ていきながら、そこに抱く私たちの「あこがれ」を明らかにしていきたいと思います。



オワリ

『草枕』 夏目漱石
 
 このブログで以前紹介した夏目漱石の作品です。こちらも『坊っちゃん』と並ぶ代表作ですが、『坊っちゃん』とは異なり、難解な文と思想に頭を抱えることになりそうです。


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