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教科書への旅 #19 新春スペシャル 『坊っちゃん』 夏目漱石(後編)

 04, 2016 00:00
教科書 新春スペシャル

 前回に続き、夏目漱石の『坊っちゃん』を紹介したいと思います。きのうは新春のスペシャルドラマが放送されていましたが、ご覧になっていた方はおられるでしょうか。改めて、新年にふさわしい痛快な内容の作品だと思いました。

 今日は主人公である坊っちゃんの人柄にフォーカスしてみようと思います。発表から110年の時を経ても、いまだに多くの日本人に親しまれ続けている『坊っちゃん』。作品の中には、日本人であれば誰でも心が動かされるような、そんな日本人の「心のふるさと」とでもいうべき要素を見つけることができます。

前編の記事はこちらから

(約3,700字 +追加分750字)



スペシャルドラマ放送!



 本のレビューに入る前に、きのう1月3日に放送されたスペシャルドラマについてコメントしておこうと思います。主人公の坊っちゃん役には嵐の二宮和也さん。放送する前から予感してはいましたが、二宮さんは見事にはまり役でした。二宮さんはアイドルとしてだけでなく、役者としても素晴らしい才能を持った方だと思います。特に二宮さんが熱弁を振るうときのまっすぐな目にはすごく惹きつけられます。そんなわけで熱く語るシーンの多い坊っちゃん役は最高のはまり役だったと思います。

 坊っちゃん以外のキャストも私としてはとても好みでした。山嵐役の古田新太さんは坊っちゃんと一緒に熱く正義を押し通してくださいました。赤シャツ訳の及川光博さんは嫌らしい役をやらせたら天下一品ですね。演じておられるご本人も何だかノリノリでした。そして、清役には宮本信子さん。・・・この配役が一番うれしかったです。個人的に清はこの小説で一番大切な人物だと思っているのですが、宮本信子さんが清の滲み出る愛と優しさを演じてくださいました。

 最後は原作と内容を変えていましたね。実は、原作はちょっと敗北感が残るというかやるせない終わり方になっているのです。ドラマは視聴者が鬱憤を晴らせるように上手くアレンジしてあったと思います。赤シャツへの鉄拳制裁!生徒たちから赤シャツへの仕返し!・・・というとても気持ちのよい内容でした。ドラマはドラマでとてもよいのですが、やるせなさが残る原作の終わり方にも大切なメッセージが込められていると思うので、原作を未読の方はぜひ読んでみていただけたらと思います。

 ・・・とドラマについて感想を語ったところで、後編の記事に入っていきたいと思います(この部分はドラマ視聴後に書き足しました)。後編の記事では、坊っちゃんにとって何よりも大事な存在、清についても触れています。

古典的カリスマ



 改めて、坊っちゃんの性格を整理してみようと思います。曲がったことが大っ嫌いで、義理と人情に厚く、己の正義を貫き通す。読んでいて大変に心地よい人物です。そう、坊っちゃんは生粋の「江戸っ子」。多くの日本人がこの作品を読んでいて感じる快感の正体は、この「江戸っ子」へのあこがれなのではないでしょうか。

 最後、坊っちゃんと山嵐は憎たらしい赤シャツと野だに鉄拳で制裁を加えます。その論理と思考回路は極めて単純で直情的です。思考と行動が一直線なのも分かりやすいですね。改めて読み返してみると、私は夏目漱石がこのようなストーリーを作ったことに彼なりの主張があったのではないか、と思えてなりませんでした。

 夏目漱石と言えば、帝国大学(現在の東京大学)を卒業し、イギリス留学も経験したエリート中のエリートです。この『坊っちゃん』の中で言えば、教頭の赤シャツが夏目漱石にもっとも近い感じがあります。そんなエリート中のエリートである漱石が、このような直線的なストーリーを書き、坊っちゃんのような単純明快なキャラクターを生み出しました。やはり、何らかの意思があってのことと考えるのがよさそうですね。

 前編でも引用した江藤敦さんの解説にもう一度立ち返ってみることにします。江藤さんは、主人公坊っちゃんの原形を江戸時代の文芸の中に見出します。たしかに、坊っちゃんのルーツが江戸時代の作品にあるというのは納得のいく考え方です。江戸時代の文芸には、伝統的な勧善懲悪のテンプレートがありました。坊っちゃんは、まるでそのテンプレートを丁寧になぞっているような、そんな作品だと思います。

漱石は暗に主張しているのである。外国語も近代思想も、いわんや近代小説理論も、それらはすべて附け焼刃にすぎない。人は決して、そんなものによっては生きてはいない。生得の言葉によって、生得の倫理観によって、生きている。少なくとも彼自身を生かしているものは、近代があたえた価値ではない。(解説:江藤敦さん)



 エリートの漱石は、文明の発展や近代化を論じた論客としても知られています。この『坊っちゃん』は近代化などとはまるで無縁の小説だと思って読んでいましたが、そうではなく、作品の奥底には近代化へのアンチテーゼがあると考えるのがよさそうですね。

 生得の言葉、生得の倫理観という表現がしっくりきます。この小説は理屈抜きに楽しめるのです。それはまさに、私たちがこの小説に感じる快感が「生得」のものであり、坊っちゃんのような江戸っ子に今も心の奥底でシンパシーを覚えているからだと思います。私たちはこの小説を読んで痛快になって、そして自分が日本人であることに立ち返っているのかもしれません。江戸時代が終わってから150年ほどたちますが、そのような快感が全く変わらないとすれば、これは日本人が受け継ぐDNAのようなものなのでしょうか。

金や威力や理屈で人間の心が買えるものなら、高利貸でも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはいけない。中学の教頭位な論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌いで働らくものだ。論法で働らくものじゃない。



 「そうだー!」と思わず掛け声をかけたくなるような衝動に駆られます。そのような衝動に駆られるとき、私の中でも無意識のうちに「日本人のDNA」が反応していたのでしょう。

清き心



 『坊っちゃん』を語る時、もう一つ忘れてはならないのが坊っちゃんを小さい時からかわいがってくれたばあや、「清(きよ)」の存在です。清はその名前通り、清い心を持った優しい人物です。だからこそ、坊っちゃんはこんなにもまっすぐに育つことができたのでしょう。そして、まっすぐ育った坊っちゃんは、離れ離れになっても清のことをずっと想い続けています。

 ツイッターのフォロワーさんで、『坊っちゃん』が「おばあちゃん小説」だと言っておられた方がおられました。私はほほえましい気持ちになりました。「おばあちゃん小説」とはよく言ったもので、本当に坊っちゃんの清への愛がにじみ出ている小説です。作品全体がそんな愛に包まれていて、それが何度でも読み返したくなるような作品の魅力につながっています。

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 清は身分が低く、まともな教育も受けていない女性でした。しかし、小さいころから一心に坊っちゃんのことを愛してくれたのです。坊っちゃんは清にかわいがってもらったことを思い出しながら、清に思いを馳せます。

今まではあんなに世話になって別段有難いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。(中略)清はおれの事を慾がなくって、真直な気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。



 離れてみて初めてそのありがたみを痛感する・・・真理だと思います。小さいころからかわいがってもらったことのありがたみを、遠い愛媛の地に来て初めて身をもって知ったのでしょう。そして、坊っちゃんは人に感謝ができる立派な人間に成長していました。清は立派だと坊っちゃんは言いますが、私からすれば、坊っちゃんも清も同じくらい、後光がさすような立派な人物です。

 こういう風に、坊っちゃんが清を思い返す箇所は作中に何度も登場します。そのひとつひとつが温もりにあふれているので、読んでいるとまるで実家に帰った時のような安心感があります。家族というのは何者にも代えがたい存在なのでしょう。改めて、家族がいること、自分が帰る場所があることのありがたみに気付きます。

 もう一か所、私が『坊っちゃん』の中で大好きな箇所を紹介します。坊っちゃんが清に手紙を書こうかと思案する場面です。

その時俺はこう思った。こうして遠くへ来てまで、清の身の上を案じていてやりさえすれば、おれの真心は清に通じるに違ない。通じさえすれば手紙なんぞやる必要はない。やらなければ無事で暮らしていると思ってるだろう。たよりは死んだ時か病気の時か、何か事の起った時にやりさえすればいい訳だ。



 清のことを思っているから、その気持ちは手紙を書かなくても伝わるはずだ、と思う坊っちゃん。彼の豪胆な性格と清を思う深い気持ちが同時に伝わってきます。便りがないのは何とやら、とは言いますが、なんとも坊っちゃんらしい発想で心が温まります。

生まれ続ける「坊っちゃん」



 山嵐が学校を辞めさせられそうになる時、坊っちゃんは自分も辞表を出して義理を通そうとしました。「履歴なんか構うもんですか。履歴より義理が大切です」、そう言い切る坊っちゃんの姿に、私は思い出した人物がいました。

 栗原一止。小説、『神様のカルテ』シリーズの主人公です。「通らぬ正義は押し通せばいい」、そんな風に言っていた一止先生の姿と坊っちゃんの姿がぴったり重なった瞬間でした。

 神様のカルテの一止先生というキャラが坊っちゃんから影響を受けている可能性は、極めて高いと思います。シリーズの作者は夏川草介さんですが、夏川草介さんの「夏」は「夏目漱石」に、「草」は『草枕』(漱石の小説)に由来しています。そう、夏川さんは大の漱石好きなのです。そして、そんな夏川さんが生み出した一止というキャラも、常に『草枕』を持ち歩くような漱石好きの人物として描かれています(本当に夏川さんは夏目漱石を敬愛しておられるのですね)。

 ぶっきらぼうだけど人間味にあふれる一止先生のモデルはこの『坊っちゃん』にあるのではないかと私は想像しました。つまり、『坊っちゃん』は形を変えて生み出され続けているのです。『神様のカルテ』を読んで一止先生に親しみを覚えた人は、それはさかのぼれば「坊っちゃん」に親しみを覚えていることになるのです。

 これは分かりやすい例で、坊っちゃんに影響を受けて書かれた作品はもっとたくさんあると思います。もし小説を読んでいて共感できる主人公がいたとしたら、その主人公には「坊っちゃん」の血が多かれ少なかれ流れているかもしれません。曲がったことが大嫌い、まっすぐ、義理と人情に厚い・・・そんな人物で思い出す人はいませんか?そのルーツにはきっと(本の作者が意識していてもいなくても)「坊っちゃん」があるのだと思います。

 今も読まれ続ける小説、『坊っちゃん』。今も生まれ変わり続ける主人公、坊っちゃん。今年は漱石の没後100年の節目の年になります。改めて、彼の魅力を再確認してみるのはいかがでしょうか。



オワリ

『神様のカルテ0』 夏川草介さん

 記事中で紹介した神様のカルテシリーズの最新刊です。夏目漱石の作品を読んでいると、このシリーズが漱石からとても大きな影響を受けていることが分かります。神様のカルテシリーズが好きな方、そのルーツにある漱石の作品もぜひ合わせて読んでみてはいかがでしょうか。

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