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  • 家族点描 #3 似ているけど、違う (「妹」という祝福 / 辻村深月さん)

     09, 2016 16:58
    家族シアター
    家族シアター
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    辻村 深月
    講談社
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    れよりも近い、だから離れたい

     家族をテーマに作品を紹介しているこのコーナー、「家族点描」。今回からはそんなテーマにぴったりの作品が登場します。辻村深月さんの短編集、「家族シアター」です。タイトル通り、家族をテーマにした7つの短編が集まりました。辻村さんが書く様々な「家族」の姿をこのコーナーでじっくり追っていきたいと思います。

     今回は一番最初の短編、「『妹』という祝福」を紹介します。テーマは「年子」です。最初の短編からいきなり家族の複雑さをよく象徴したテーマではないでしょうか。生まれた年が1年しか違わない子どもが同じ屋根の人で暮らすのです。当然、衝突があり、葛藤があり、すれ違いがあるのでした・・・。

    (約4,700字)



    あいつとは違う



     兄弟姉妹と同じ学校に通わなければいけない

     兄弟姉妹がいる方は経験があると思うのですが、自分の兄弟姉妹と同じ学校に通うということは楽しいことだったでしょうか、それとも嫌なことだったでしょうか。仲の良いきょうだいなら楽しいことだったかもしれません。反対に、「あんなやつときょうだいだなんて思われたくない」と嫌悪感を募らせる人もいたと思います。

     最初に告白させてもらうと、私は典型的な後者でした。学校で弟と鉢合わせるたびに、毒づいたり目線をそらしたりしたものです。弟のことで放送で呼び出され、赤面しながら廊下をかけたこともありました。友人との話題で弟の話になるたび、必死に話題をそらそうとしていた記憶があります。毎日家で顔を合わせている人間が同じ学校にいるというのは私にとってそれなりに気まずいことで、いつもどこかで反発をしていました。

     それでも幸いだったのは、私と弟が3学年離れていたことです。3学年離れていたということは、一緒の学校に通ったのは小学4年から6年の3年間だけということになります(弟は小学1年~3年)。中学校はちょうど入れ違えになる形で1年も重ならなかったのですね。「中学校では弟と一緒にならなくていい!」とかなり喜んだものでした。何をそこまで、と思われるかもしれませんが、一緒の学校に通う気まずさや居心地の悪さというものは相当なものがあり、そこから解放されるのは本当にうれしいことだったのです。

     さて、この短編「『妹』という祝福」に出てくる姉妹の場合、状況はより悲惨です。姉と妹は1学年違いの年子なのです。そうすると、一緒の学校に通う期間は何年間になるでしょうか。姉が小学2年~小学6年までの5年間、それに中学2年と3年の2年間を合わせて計7年間です。私は3年間一緒なだけでもげっそりでしたが、その倍以上の期間を一緒に過ごすということになります。

     そして、始末の悪いことに、妹の亜季は姉の由紀枝を心底毛嫌いしていたのです・・・。

    学校の勉強や、ピアノや書道などの習い事での成績を誇った姉に対し、私は早々にそれらに見切りをつけた。だったそんなの、何の意味もない。女の価値は顔。かわいかったら持てる技術は評価されるかもしれないけど、ブスでは顰蹙買うだけだ。



     辻村さんというのはこのあたりの描写が大変えげつない方、という印象があります。思わず目をそらしたくなるようなきつい言葉ですが、ここに書かれていることは真実なのでそれがまた苦味を高めます(容姿で得をしたり損をしたり・・・というのは残酷なほどデータで証明されているのです。特に女性の場合は・・・)。

     「姉のようにはならない」、亜季はそうやって姉と決別しようとしてきました。しかし、姉とはいつも同じ学校に通わなくてはいけません。少し想像してみましたが、かなりストレスのたまる状況だと思います。「うざったい」、彼女の性格ならそう思ってしまいそうです。

    磁石のような二人



    「あれが自分の姉じゃなくてクラスメートだったら、私、絶対ああいう人種と話なんかしないもん。もう、本当嫌になる」



     教室には、いつも2種類のタイプがいました。彼女の言葉を借りるなら、2種類の「人種」がいました。簡潔に表現すると、キラキラした人と、ジメジメした人。人種、という言葉の選び方は正しいと私は思います。2種類のタイプは頭の上から足の先まで全てが異なっていて、絶対に相容れることはないからです。キラキラは「どうしてあんなにつまらない人生を送っているんだろう」とジメジメに嫌悪感を抱き、ジメジメは「どうやったらあんなに楽しく人生を送れるんだろう」と理解できない気持ちでキラキラを見つめます。

     違っているならそれでいいじゃない、それぞれ自分の思うように生きれば・・・というのが私の考えなのですが、この2人の場合そうはいきません。なぜなら2人は姉妹だからです。しかも1学年違い、7年間も同じ学校に通わなければいけない姉妹です。「どうして姉妹なのにそんなに性格が違うの?」と何度も尋ねられたことでしょう。無意味に姉妹を比較されることも多くあったと思います。

     私にもそんな経験がたくさんあったので、この物語にはいつも以上に特別な共感を覚えました。私と弟は、この物語に出てくる姉妹のように性格が正反対なわけではありません。それでも、「弟と一括りにしないでほしい」「自分と弟は違う」という思いが常にありました。人間にはどうにもならない力で反発が働いているようで、それはまるで、磁石の同じ極どうしにはたらく、絶対にくっつかない反発の力のようでした。

     きょうだいの間にはたらく、反発の力。ちょっと考えてみると、なかなか深いテーマだと思いました。その反発の力を考える上でヒントになるのは、実は上に引用したセリフに隠れているのではないかと思うのです。

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     自分の姉じゃなくて、クラスメートだったら絶対に話さない

     たしかにそうなのです。姉妹の性格は正反対で、ただのクラスメートだとしたら交わることはまずないでしょう。「キラキラ」の亜季にとって「ジメジメ」の由紀枝は視野の片隅にも入らない存在だったと思います。逆に、「ジメジメ」の由紀枝にとって「キラキラ」の亜季は同じクラスにいても会話をすることもない遠い存在だったでしょう。まさしく「別の人種」、交わらないまま別々の人生を歩んでいたに違いありません。

     だけど、彼女は自分で言っているのです。そんな別の人種は「自分の姉」で、クラスメートとは違う存在だということを。このセリフは、当たり前のことを言っているようで実は深いセリフだと思いました。自分と姉が姉妹だということを、何とか否定しようとはしてみるのですが、実は逆に認めてしまってもいるのです。そう考えると、なんと味わい深いセリフでしょうか。

    私たちには部屋が一つきり。自分が妹として生まれたこと、こういう家に母が私を産んだこと、悔しくて涙が出てくる。

    姉は黙ったままだ。私が部屋を出て行くのが自然な流れに思えたけど、それは姉の望みを叶えることのように思えて、何より他に行くところなんかないから、私は黙って座った。涙が流れるまま、それをこれ見よがしに拭いながら姉を睨み続ける。癪だから、声はあげなかった。



     この場面も大変印象に残りました。特に、「部屋が一つきり」という表現が印象的です。深読みのしすぎかもしれませんが、私にはこの場面に出てくる「部屋」というのは兄弟姉妹の姿を象徴しているのではないか、と思いました。

     きょうだいのことが嫌いだ、自分はあいつとは違うんだ。そうやって、何とかして自分と兄弟姉妹を切り離そうとする私を含むたくさんの人たち。そうやって叫べば叫ぶほど、それは自分の兄弟姉妹の存在を強調しているようにも見えないでしょうか。そう考えると、これはとても皮肉な話です。

     自分とは違う、どれだけそう言ったとしても、自分と兄弟姉妹は結局同じ「部屋」の住人です。この話の亜季の姿をもう一度見ていただきたいと思います。涙を流して姉を睨み続ける・・・そうやって精一杯抵抗しては見るのですが、結局部屋からは出て行かないのです。

     「他に行くところなんかないから」、彼女はそう言います。この時点では彼女と姉の関係はまだ最悪なままなのですが(このあと好転します)、この時点で彼女はもう分かっていたのかもしれません。たった一人だけの、自分の姉。たった一つだけの、自分が帰る部屋。彼女が吐き捨てたとおり、「他に行くところなんかない」のですね。

     兄弟姉妹は磁石のよう、と先程書きました。私は兄弟姉妹を磁石に例えるのが好きです。同じ極どうし、頑張ってくっつけようとしても絶対にくっつかないあの様子を見ていると、私はついつい兄弟姉妹の姿を浮かべてしまうのです。

     同じ極=似たものどうし、と考えてみることができます。そう考えると、兄弟や姉妹が互いに反発するのはごく自然なことのように思えてきます。どちらかがひっくり返れば2つの磁石はくっつくことができます。ですが、私にとっての「きょうだい」というのはやっぱり反発しあっている磁石というイメージのほうがしっくりきます。どちらかがひっくり返ると、他方も負けじとひっくり返って、そんなことを繰り返しながら永遠に反発しているような、そんなイメージです。

     くるくるくるくると回転を繰り返しながら、永遠に反発しあっている。一人っ子の人からするとばからしい光景かもしれませんが、そうやってくるくると回転を続けながら、私は成長してきたのだと思います。そして、この話に出てくる姉妹も、きっとそうなのだと思います。

    きょうだいの役目



     姉のことを心底嫌ったいた亜季でしたが、ある事件をきっかけに姉の意外な行動に触れることになります。そして、彼女は「一つきりの部屋」に駆け込んでいくのです。そういう話の流れは十分予想できたとはいえ、「やっぱりそうこなくちゃね」という安心感があったことも事実です。私にもまた、私たち兄弟だけの「部屋」に結局は駆け込んでいる一人なのでしょう。

     ある事件や姉の行動については本を読んで確かめていただくことにして、ここでは最後に1つ印象的な場面を紹介することにしましょう。時は流れ、姉の結婚式の場面です。姉から妹へ、こんな手紙が送られました。

    家族点描

    中学校時代の私、山下由紀枝にとって、唯一の自慢は、自分にかわいくて人気者の妹がいる、ということでした。友達も少なく、男の子とも無縁な私の憧れを全部かわりに生きてる亜季は、当時の私がすがりついていた価値のすべてでした。いつまでも、その頃のかっこよさを持った亜季でいてください。



     自分が一人っ子だったらどうだったろう、とたまに想像することがあります。弟と一緒の学校に行かなくてよくて気楽だったでしょうか。部屋を一人で使えて快適だったでしょうか。・・・・・・どれだけ考えても、そんな風には全く思えませんでした。

     この小説の最後に、「役目」ということばが出てきます。かっこいい妹だった、そういわれた亜季は、決意するのです。かっこいい妹として生きることは私の役目、それも悪くないじゃないか、と。

     この結末に、私はとても納得しました。兄弟や姉妹の幸せなところというのは、「役目」ができることかもしれません。兄の役目、弟の役目、姉の役目、妹の役目。上で「成長できた」と書きましたが、成長できた一因にこの「役目」があったことに気付きます。

     兄として生きる、弟として生きる、姉として生きる、妹として生きる。それはたぶんとても素敵なことで、私はそんな素敵なものを両親からもらうことができました。改めて感謝したいと思います。正直、弟が好きだなんて素直に言えるようになる日はまだまだ遠そうです。けれど、大切なことは忘れずにおこうと思います。自分の「役目」、そして自分の「部屋」、その2つです。



    家族点描

     冒頭にも書いたとおり、辻村さんのこの『家族シアター』という本は様々な家族の姿を書いた短編集です。1つ1つのテーマを今回の記事のように丁寧に掘り下げていくことができそうです。今後定期的に紹介していこうと思います。

    「家族点描」スケッチブック

     まだ3回しかやれていないとはいえ、私の感触的にはとてもお気に入りのコーナーです。家族について、これからどんどん掘り下げていこうと思います。

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    小説, 辻村深月,



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