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教科書への旅 #20 『にじの見える橋』 杉みき子

 24, 2016 21:46
教科書

 保育園から小学校、中学校から高校、そして高校から大学。学校の変わり目というのは何度もありましたが、個人的に一番変化が大きかったのは「小学校から中学校」です。何もかもが変わって、何というのでしょうか、背伸びを「しなければいけない」、そんな雰囲気に飲まれていました。

 国語が大好きで、国語の教科書作品で成長させてもらった私ですが、中学校の始めというのはそういった時期でしたから、その時期に読んだ作品にはとても思い入れがあります。今日は、中学校で最初に読んだ小説、『にじの見える橋』を紹介します。

(約4100字)



ずぶぬれになりたい



にじの見える橋1

 『にじの見える橋』の作者は児童文学作家の杉みき子さんです。杉みき子さんと言えば、このコーナーで以前紹介したことがあります。第5回で紹介した『わらぐつの中の神様』(小学5年生)ですね。教科書に複数の作品が採用されている作家さんというのは、それだけ子どもたちに「読ませたい」作品を生み出している方ということになりますから、素晴らしい作家さんばかりです。杉みき子さんの場合は、人物の感情をすくい取るのが抜群に上手くて、何だか「すっと入ってくる」、そんな印象があります。

 上に載せた教科書の作品をご覧ください。タイトルの下に、学生服を身にまといつつも、どこか幼さの残る少年の挿絵があります。国語の教科書を開いてこのページを見た時、私ははっとしました。まさに当時の私がそこにいるかのようだったからです。

 この作品の主人公が中学1年生であるとはどこにも書いてありません。幼げな少年が学生服を着ている様子はいかにもそう思わせますが、学生服は小学校でも着用する学校があるのでこれだけでは何とも言えませんね。ただ、改めて読み返してみると私にはこの少年は中学1年生なのではないかと思えました。この少年の「心模様」が、私の中ではいかにも中学1年生のそれだったのです。

 雨の中を走ってきた少年。彼の心の中も、どんよりとした雲で覆われていたのでした。

このところ、なにもかも、うまくいってない。このあいだのテストの成績が悪かった。母親は、課外の活動をやめろという。親しかった友達とは、ちょっとしたことから仲たがいをした。好きなCDを買うこづかいが足りない。そのほか、具体的な形になっていないもやもやが、いくつもあった。雨は、自分の上にばかり降るような気がする。いっそぬれるなら、もっともっとずぶねれになったら、かえってさばさばするだろうと思う。



 「このところ、なにもかも、うまくいってない」と少年は言います。実際、彼にそう思わせることの一つ一つはそんな大したことではなくて、特に「好きなCDを買うこづかいが足りない」の部分はかわいらしくて笑みがこぼれます。だけど、彼を笑ってはいけません。小さな世界かも知れませんが、彼は自分の世界の中を精一杯生きていて、だからこそ「なにもかも、うまくいってない」と思うのです。

 自分の中学1年のころのことを思い出すと、とにかく「ずれ」の大きい時期だったなと思います。少し前まで小学校に通っていた子どもです。中身はまだ小学生のようなものでしょう。それなのに、突然連れて行かれた中学校。制服のサイズも、毎日見る景色も、部活や新しく始まった教科も。何だかすべてが、等身大の自分とはずれているような気がしました。冒頭で、背伸びを「しなければいけない」ようだった、と書いたのはそんなところからです。

 作品を改めて読むと、少年もそんな風に「ずれていた」一人ではないかと感じます。最後の場面を読むと、特にそのことを強く感じるのです。「具体的な形になっていないもやもや」、少年が言うそれの正体は、いろいろな「ずれ」ではないかと私はこの作品をそう読み解いています。

 そんな少年のもとに、幼い子供たちの声が聞こえてきました。「にじが出てるよ」、その声に少年は思わず振り返ります。

ああ、確かににじだ。赤、黄、緑、太いクレヨンでひと息に引いたような線が、灰色の空をあざやかにまたいでいる。上端はおぼろに消え、下はビルと森のかげにかくれて、見えているのはほんの一部分だ。



 どんよりと進んでいた物語ですが、この場面から一気に霧は引き裂かれ、大胆な旋回を見せます。

1ページの挿絵



少年は、自分でも思いがけない衝動に駆られて。辺りを見回した。
―高い所がないか、あれが全部見える所が。



 心の中でもやもやと思いをめぐらせてその場にとどまってしまう少年と、「衝動」に駆られて考える前に行動に出てしまう少年。その姿はおよそ対照的です。この場面に、作品の大胆な転回点があるように思います。

 教科書のページをめくります。今日一番伝えたかったのは本文ではなく、「挿絵」です。ページを開いた時、この挿絵が目に飛び込んできたのです。

にじの見える橋2

 見事な虹がかかっています。作品冒頭のじめじめした感じの反動もあって、霧が晴れるような爽快感があります。この作品にこの絵あり、文章と挿絵が一体となって、見事な「作品」を作り上げた瞬間ではないかと思います。

 ページを開いた時にこの挿絵が飛び込んでくる。その一連の動作も「作品」の一部であるということに注目です。すっかり作品の一部になっているこの動作は、今改めてやってみても新しい感動が押し寄せてくるものでした。現在は教科書も変わっているはずですから、どんな形になっているかは分かりません。ですが、この「ページを開いて虹が飛び込んでくる」という作品の一部が今も変わらずに残っていることを願うばかりです。

 少年が虹を見た時に抱いた思いが大変印象的です。この場面は、私が落ち込んだときにふと読み返したくなる場面でもあります。

栞 教科書

少年は、大きく息を吸った。この前、にじを見たのはいつだったろう。この子たちくらいの小さいころ、いや、もっとずっと前のような気がする。もしかしたら自分は今、生まれて初めてにじを見たのではないかと、少年は思った。



 語りたいところがたくさんありますね。まずは「大きく息を吸った」。何気ないこの動作ですが、私は大きな意味が込められたものだと思います。よく、「息をするのも忘れるような」という表現をします。ここでとび込んできた虹は、まさに「息をするのも忘れるような」美しさ。それなのに、少年のとった行動は「息を吸う」というものでした。ちょっと際立つ表現ですね。

 作品冒頭の少年は、もやもやと悩みに沈み、息を吸うという表現からつなげれば、息の詰まるような状態でした。少年は、「息を吸う」という当たり前の動作すらも忘れていたのかもしれません。虹が出てくる場面は、薄暗い雲のような色をしていた作品を一気に七色の光で凌駕し、息の詰まるような思いをしていた一人の少年に息を吹き込んだのです。なんてダイナミックな展開でしょうか。

 そしてもう一つ、「生まれて初めてにじを見た」という表現です。この場面にこの言葉を選んだこと、ただただ見事としか言いようがありません。もちろん、少年は生まれて初めて虹を見たわけではないでしょう。しかし、少年にとって、「生まれて初めて」というのは紛れもない実感だったことでしょう。

 この場面、少年の隣に幼い子どもたちがいて、思い思いに歓声を上げているのです。これが私にとっては効果的な対置でした。少年にも、そんなに遠くないころ、幼い子どもの時代があったはずです。けれど、今の少年は学生服に身を包んでいる(包まなければいけない)。心の中身はまたまだ子どもなのに、どこか急がされるように学校を駆けあがらされて、少年はどこか疲れていたのかもしれません。体や心、いろいろな「ずれ」こそが、「具体的な形になっていないもやもや」の正体だったのかもしれません。

 衝動で橋を駆けあがった少年は、幼い子どもたちの横で見事な虹を見るのです。「ずれ」はすっかり消えてしまったようです。そして、それはまさに生まれて初めての経験だったことでしょう。

だれ一人、立ち止まって、この大空のドラマに眺めいるものはいない。
少年はふと、初めて、自分のことを恵まれたものに感じた。



 ここにも、「初めて」という言葉が出てきます。2度も使われる「初めて」の語が、少年の感動の大きさを物語っているようです。先ほどまでの小さな悩みは、もう影も形もありません。

 虹って、不思議な力があると思います。虹が出てくるのは、いつも雨上がり。大切なことなので、もう一度書きますね。虹が出てくるのは、いつも「雨上がり」。暗く覆われた雲が払われた後、ダイナミックに空を駆ける虹は自然がなす奇跡です。雨上がりに出る虹に、いつも、どこかで、誰かが救われているような気がしてなりません。

背伸びを止めて



 中学校に入りたてのころ、私の心はいつも雨模様でした。特にストレスになっていたのが先輩たちの姿です。中学1年生と3年生では体も心も全く違います。こんなところでやっていけるのだろうか、いつもそう思っていました。

 大きな体の先輩たちが大声を張り上げながら部活をしているのを横目に、帰り道を歩いたのをよく覚えています。その時、雨が降っていました。アスファルトのつんとした匂いが、今も鼻の奥を突くようです。

 あの時、もし虹がかかっていたらな。ふと、そんな風に思うのです。私も、少年のように「衝動」に襲われただろうと思います。大きな制服を身にまといながら、かえって小さな世界に閉じこもっていた自分を、虹が解き放ってくれたはずです。結局虹に巡り合うことはありませんでしたが、この作品を読みながら、何か「疑似体験」をした気になりました。

 虹を見た後の少年は、まるで子どもに帰ったかのようです。

「早く早く。」
少年は笑いながら、体をずらして、にじを正面に見る場所を空け、友達が上ってくるのを足踏みをしながら待った。



 最初よりもよっぽど生き生きとしていて、ほほえましくなります。私は、タイムマシンで中学1年生に戻れたらその時の自分にかけてあげたい言葉があります。同じ言葉を、少年にもかけてあげたくなりました。

 「まだまだ、大人にならなくていいからね」。


 
教科書

 「教科書への旅」、今回で20回に到達しました!一覧ページを作っていますが、20回もたまると感慨深いものがあります。紹介した20の作品はどれも思い出の深いものばかりです。自分の子ども時代と絡められる分、特に思い出が深くなりますね。

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 こちらも中学1年の最初に読んだ作品です。「おれはかまきり」が有名なくどうなおこさんの詩ですね。記事では、中学校の初めにあった忌々しい音読会のエピソードも交えてたっぷりと振り返っています。

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