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確実で、着実な一歩  -『誰かが足りない』  宮下奈都

 18, 2016 21:27
 突然心にぽっかり穴が空いたような。ふとそんな気分が押し寄せてくることはないでしょうか。私はよくあります。それも、一人で寂しい時に訪れるのではなく、ものすごく充実しているような時にふと訪れるのです。これは一体どんな現象なのか、不思議ですね。

誰かが足りない (双葉文庫)
宮下 奈都
双葉社 (2014-10-16)
売り上げランキング: 118,143


 宮下奈都さんの『誰かが足りない』を紹介します。宮下さんと言えば、今年最初のブックレビューで『羊と鋼の森』という小説を紹介しました。『羊と鋼の森』は本当に素晴らしい作品で、私はあっという間に宮下さんのファンになりました。宮下さんは、私が一番好きな小川洋子さんと似た雰囲気を感じるところがあるのです。そんなわけで、早いスパンで2冊目の本に手を伸ばしました。



寄り添う作家



 『羊と鋼の森』、そしてこの『誰かが足りない』を読んで感じたのは、宮下さんが登場人物に丁寧に寄り添う作家さんである、ということです。作品に真摯に向き合っておられる、とも言えると思います。作者である宮下さんが登場人物に向けるまなざしは優しく、温かく、それでいて強い。まるで書き手がやわらかな光となって、登場人物を包んでいるようです。

 このように真摯な語り手に出会うと、読者である私は安心して作品に身を任せることができます。まだ2作品しか読んでいませんが、宮下さんの作品からは揺るぎない信頼感を覚えるのです。

 さて、冒頭で「突然心にぽっかり穴が空く」ということについて述べました。この『誰かが足りない』は、まさにそんな、心にぽっかりと空いた穴をテーマにしたお話です。「ハライ」というレストランに予約をした、6組のお客さんたち。彼らはそれぞれにそれぞれの事情があり、それぞれの「喪失」を抱えていました。喪失を抱えた人々が集うレストラン。彼らは何を思い、どう前に歩を進めるのでしょうか。

 登場人物に丁寧に寄り添っていく宮下さん。今作でも、人々の抱える「喪失」に、優しい手を差し伸べています。私たちが普通に生きているだけでは見落としてしまうような、そんな些細な、消え入りそうな心にも、宮下さんの繊細な語りが注ぎ込まれていくのです。

喪失のそばに



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 まず、「誰かが足りない」というタイトルが秀逸ですね。これは、私たちが常に抱えている喪失感を表しているように思います。どんなに恵まれた生活をしていても、あるいは物事が全てうまく運んでいるとしても、「喪失」から逃れられる人間はいないと思います。例えるとしたら、人間の後ろに付いて回る影のようなものでしょうか。ある時、ふっとその姿を現す。そして、私たちの心を蝕もうとするのです。

 この作品に登場する人物たちも、どこか影、つまり喪失のオーラを抱えた人ばかりでした。抱える事情はそれぞれです。ただ、それぞれが抱える苦悩や喪失は、どれも私たちがいつ経験してもおかしくない、ありふれたものばかりでした。私たちは誰もが喪失と共に生きている。そしてその喪失は、ふっと顔を出し、私たちを蝕もうとする。そんな喪失の静かなゆらめきを感じさせる短編が並んでいるように感じました。

いい子でいたいんだろう。人に嫌われたくなくて、抱えられそうなものは全部自分で抱えてしまう。それで結局、余裕がなくなって自爆するのだ。ぜんぜんいい子なんかじゃない。



 1つ、抜き出してみました。いろいろな喪失がある中で、私がもっとも寄り添うことのできた喪失です。そして、同じようにここに書かれている喪失に寄り添える方も多いのではないのでしょうか。人に嫌われたくないから、自分で全て抱えてしまう。その上、周りからは「いい子」にされ、本当の自分とのギャップは開いていくばかり・・・。私も、こんな風に感じたことは何度もあります。

 ふと空を見上げてみました。今、この世界に、ここに書かれていることと同じ思いをしている人はどれだけいるのでしょうか。きっと、数えきれないほどたくさんの人が同じ思いをしているはずです。言い換えれば、世界は喪失であふれている

 とてもありふれた喪失です。多くの人が抱えているけれど、人々は特にそんな感情を表出させることもなく、ただその気持ちが薄れ、消えていくのを待っています。喪失を消し去ることはできない。だから、喪失と上手く付き合いながら、なんとか歩を前に進めていく。人生とは、突き詰めればそんなものなのだと思います。

 そんな「ありふれた喪失」を、宮下さんは掬い取っていく。それがとても丁寧で、優しい。まるで語り手が登場人物の背中をそっと押しているような印象を受けました。宮下さんを通して語られること。登場人物を包む、優しく温かい手。それをもう少し見てみたいと思います。

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 レストランへ向かうお客さんの中に、「今」を怖がる青年がいました。彼はいつも手にビデオカメラを構えています。世界は彼にとってあまりに刺激の強いものだったのです。「今」を見つめることに怯え、カメラを通した世界の中に生きている青年。そんな青年に、別の登場人物がこんな風に語りかけました。

「まるで過去を生き直しているみたいに見えました。でも、たぶん、違う。歌ったあなたも、泣いたあなたも、今のあなたなんです。あなたは取り戻している最中なんです。」



 少しずつ、心はほぐされていきます。そうです、少しずつでよいのだと思います。少しでもいいから、確実で、着実な一歩を。

この驚きも、きっと今だ。今は風で、今は笑いで、涙で、よろこびで、かなしみで、驚きで。



 よろこびも、かなしみも、驚きも。全ては「今」でした。それを当たり前のこととして受け入れている私たちとは違って、彼はそれを受け入れることができていませんでした。彼の今は、今から始まるのです。説教でもない、綺麗ごとでもない、正論でもない。宮下さんは、こういう風に、登場人物に「確実で、着実な一歩」を歩ませているように感じます。

 ある女性と出会って、こんな風に感じた登場人物もいました。

彼女を見たときに黄色い信号が緑に変わったのを覚えている。今までずっと黄信号で足踏みしていた場所から、進んでもいいといわれた感じだった。止まれ。ただし、止まれなければ進め。――それが黄信号だ。



 ここにもまた、「確実で、着実な一歩」の存在を見つけることができます。彼にとって、それまでの黄信号は足を止めるための装置でしかなかったのでしょう。それが、ある出会いを通してふっと世界は急回転をする。そうか、黄信号は「止まれなければ進む」ものなのか―そう気付いて、彼は足を前に進めます。

 たしかに、喪失は常に私たちのそばにいるものです。しかし、喪失が常にそばにいるとしたら、喪失から立ち上がる「確実で、着実な一歩」もまた、その隣で息を潜めているのではないでしょうか。世界は、私たちがそれをどう見るかによって、あっという間に形を変えてしまう。世界が形を変える瞬間。確実で着実な一歩がまさに踏み出されようとする瞬間。その描かれ方が抜群に上手いと思います。

思いがけぬ発露



 登場人物たちにある瞬間訪れる「変化」。作者の宮下さんは、それを「感情の発露」というもので捉えているのではないか、と思いました。それを感じさせたのがこの箇所です。

美しい記憶がそのままその人の美しさを支えるわけではないように、悲しい記憶が人のやさしさを支えることがあるように、いいことも、悪いことも、いったん人の中に深く沈んで、あるとき思いもかけない形で発露する。



 ああ、そうだよなあ。心がそんな風につぶやいて、次の瞬間、言葉が体の中に染みわたってきました。いいとか、悪いとか、それはその瞬間で単純に割り切れるものではないのだと思います。いったん心の中に沈んで、ある時、それが思いもかけない形で発露する。その発露したものが、突然訪れる世界の変化なのでしょうか。

 今まで見たこと、聴いたこと、感じたこと。会ってきた人、食べてきたもの、行った場所。それらが全て蓄えられて、ある時、ある場所で「発露」するんだ。そんな風に思ったら、それはあまりに深遠なことで、そのあまりの深さにしばし本のページをめくる手を休めました。それと同時に思うのです。宮下さんの作品を読んでいて感じる圧倒的な「信頼」というのも、ここからくるものではないか、と。

 おそらくこの本に出てくる全ての登場人物たちに、宮下さんはこう語りかけました。

「失敗自体は病じゃないんだ。絶望さえしなければいいんだ」



 背中を押してもらったのは、登場人物たちだけではないはずです。



オワリ

『羊と鋼の森』 宮下奈都さん

 冒頭でも触れましたが、私が今年最初に読んだ本です。もしかしたら、今年読む本の中で一番の傑作かもしれない。最初の1冊なのにそんなことを思った、それくらいの傑作です。

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小説, 宮下奈都,



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