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21世紀の文学 -『ルポ 電王戦』 松本博文

 11, 2016 18:05
 たくさんの文学作品を紹介してきたこのブログで、今日は新たな「文学」を紹介しようと思います。「21世紀の文学」という記事のタイトルに、何を思い浮かべられたでしょうか。それは、小説でも、随筆でも、詩でもありません。

 「21世紀の文学」の正体は「コンピューター将棋」です。そう答えると、思いもしない方向から飛んできた答えに、驚かれる方が多いかもしれません。



 将棋を知らない方でも、人間とコンピューター将棋の戦いについては知っている、という方が多いかもしれません。プロ棋士がコンピューター将棋に初めて敗れた時、将棋を指さない方も含め、世間に大きな衝撃が広がったのを覚えています。「人間vsコンピューター」、その図式が、将棋を知っている、知らないにかかわらず、多くの人を惹きつけたのだと思います。

 コンピューターソフトが人間を上回るほど強くなって、将棋界は大きく変わりました。良くも悪くも、だと思います。そして、今もなお変わり続けています。その激動の変化を、将棋観戦記者の松本博文さんが綴ります。



光速の進歩



 将棋界には、「光速の寄せ」ということばがあります。光速と評される圧倒的に速い寄せ(相手の王様を詰ませにいくこと)を繰り出すのは、現在の日本将棋連盟会長である谷川浩司九段です。私も谷川九段の指した将棋をなぞってみたことがあります。私には理解できないような速さで相手の王様が討ち取られていきました。本当に「光速」なのです。

 さて、この本の一番優れた点を紹介したいと思います。それは、コンピューター将棋の凄まじい進歩を肌で感じることができることです。それはまさに、「光速の進歩」とでも呼べそうなものでした。

 数十年前、コンピューターの指す将棋はとても将棋とは呼べるものではありませんでした。この本も、そんなコンピューター将棋の黎明期から幕を開けています。そんなコンピューター将棋が、プロ棋士すらも凌駕してしまう。SF小説のテーマにでもなりそうな話です。

 それを私たちが実際に「見た」。過去から振り返ってみると、改めて私たちが今すごいことを目撃しているのだ、ということに気付かされます。本を読めば、それこそページをめくるたびに、コンピューターは強くなっていきます。そのスピード、得体の知れない強さ、そしてそれを目撃した人間の「葛藤」。様々なことを感じられる、読みごたえのある1冊です。

名人、すなわち人間のトップに勝つ、という目標は、山本(注)一人のものではない。まだコンピューター将棋がどうしようもなく弱かった時代からずっと、多くのプログラマが思い描いていた、見果てぬ夢だった。(中略)羽生が将棋界400年の頂点に立つ人間ならば、ponanzaもまた、半世紀にわたる開発者たちの英知の結晶でもある。

注)山本・・・コンピューター将棋ソフト「ponanza(ポナンザ)」の開発者、山本一成さんです。



 人間とコンピューターが盤を挟んでいる光景に、どうしても「人間vsコンピューター」という図式を当てはめてしまわれる方は多いと思います。しかし、そうではないのです。コンピューター将棋を語る時にほぼ必ず言われることですが、これは「人間vs人間」の戦いなのです。コンピューターの向こうには人間がいました。人間と人間、その図式に気付くことが出来れば、コンピューター将棋が「21世紀の文学」と呼ばれているその理由にも近付くことができるのではないかと思います。

1秒間に1億と3手



 将棋界には「1秒間に1億と3手読む男」がいます。名人を獲得したこともあるトップ棋士、佐藤康光九段です。佐藤九段の読みがとても緻密で、コンピューターが一億手を読むならばその先の1億と3手まで読んでいる、というのがその呼ばれの由来のようですね。

 もちろん、これは冗談交じりの、大いに誇張が入った表現です。佐藤九段は紛れもないトッププロで、その読みは緻密ですが、いくらなんでも一億手読んでいるということはないでしょう。ですから、「1秒間に1億と3手」は誇張です。ところが、「もう片方」は誇張ではないのです。もう片方、とは何でしょうか。そうです、「コンピューターが1億手を読む」のほうです。こちらは誇張ではなく事実です。コンピューターは、人間には到底想像もつかないような膨大な数の手を、一瞬にして読んでいます。

 そんな人知を超えたコンピューターに人間が挑んだところで、勝負になるわけがないじゃないか。そんな風に考えて、人間とコンピューターが対戦する「電王戦」というコンテンツを切り捨ててしまう人もいるかもしれません。ところが、そうではありませんでした。「電王戦」ではいろいろなことが起きました。いろいろな考えがあるかもしれませんが、私は電王戦は素晴らしいコンテンツであると思っています。

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 電王戦ではいったい何が起こったのか。その詳細については本に書かれているので、気になる方はぜひ本を手に取ってみてください。そこで起こった様々なドラマを、筆者が高い文章力で綴っています。ここでは、電王戦の結果だけ記しておきましょう。勝敗はプロ棋士側から見たものです。

 第1回  ●
 第2回  ○●●△● (1勝3敗1持将棋)
 第3回  ●●○●● (1勝4敗)
 FINAL  ○○●●○ (3勝2敗)

 この本で取り上げられているのは第3回までです。一番ドラマチックな展開となったのは一番下に書いたFINALだと思うので、ちょっと残念ですね。とはいえ、第3回までにもたくさんのドラマがありました。毎回「何かが起こる」、そう言っても過言ではありません。

 「いろいろなことがあった」、という私の書き方にモヤモヤされる方もいるかもしれません。勝つか負ける以外に一体何があるんだ、と。そんな方にこそ、この本を開いていただきたいと思うのです。

 人知をはるかに超えているはずのコンピューターソフトの思わぬ「弱さ」が露呈したこともありました。そして、人間の側の「弱さ」と、「強さ」もまた、戦いを通じて見ることができたのです。人間というのは、プロ棋士もそうですし、コンピューターソフトを作った開発者のことも指しています。どれだけ優秀な脚本家が脚本を書いたところで、あのような展開を描くことはできなかったでしょう。それは、人間とコンピューターが、いえ、人間と人間が向き合ったからこの生まれた唯一無二の「ドラマ」であった。私はそう思います。

将棋というゲームは、およそ無限とも思われるほどの変化を秘めている。誰がこのゲームを作ったのか。その名は現代に伝わっていない。「神が作ったゲーム」とは将棋好きがよく口にする言葉ではあるが、なるほど、それは本当なのかもしれないと、思わされることも多い。



 電王戦を通じて、将棋というゲームの底知れない可能性を見たような気がします。たった81マスで、たった40の駒がぶつかり合うゲーム。取った駒を使えるというルールが加わって、そこには無限の可能性が広がりました。無限に広がる盤上で、これからも攻防は続いていきます。

自分よりも強い存在



将棋で人間がコンピューターに負けることをどう解釈すべきか。正解はもちろんない。感じ方は、人間それぞれで違うだろう。



 筆者は最後にこう問いかけています。私も少し考えてみることにしました。

 コンピューターがプロ棋士すらも凌駕するようになって、一部では「プロ棋士は不要」などという声も聞こえるようになりました。しかし、私はまったくそうは思いません。どうしてそう思うのか、自分に問いかけてみます。それは、将棋の面白さは「自分よりも強い存在がいること」だからだ、などといったら、将棋界の危機を唱える人からするとあまりに楽観的でしょうか。

 偉そうにコンピューター将棋のことを書いてきましたが、私自身の棋力はまだまだへっぽこです。こんな私でも続けているうちに確実に上達はしているのですが、強くなっても私の前にはいつも「さらに強い人」がいます。ネットで人と対戦したり、スマホのアプリで対戦したりしますが、相手が強くなるとあっという間に負かされてしまいます。ましてや、最高レベルのコンピューターだったらどうでしょうか。もはや「気付いたら負けているレベル」です。本当です 笑。もはや何をどうしたから負けたのか分からないくらい、圧倒されてしまいます。

 では、ネットで私に勝った人が最強かというと、もちろんそうではありません。その私に勝った人に、さらに圧倒的な強さで勝つ人がいるのです。そして、さらにその人より強い人がいて、そしてさらに・・・。そのはるか高みには「プロ棋士」がいます。

 私は、そんな「自分よりも強い存在がいること」が将棋の面白さであり、自分が強くなろうとする理由でもあるのではないか、と考えています。自分よりも強い存在は、将棋に秘められた無限の可能性を教えてくれる存在であり、そして「自分を強くしてくれる存在」でもある、と思うのです。

 コンピューター将棋も、そうなってはくれないでしょうか。もちろん、プロ棋士が負けてもいいとは思いませんし、負けるところを見るのは辛いところもあります。ですが、「プロ棋士よりもさらに強い存在」には必ず意味があると思います。その存在が、将棋に秘められた無限の可能性を教えてくれる存在であってほしいし、人間をさらに強くさせる存在であってほしいのです。

 コンピューター将棋に対しては、いろいろな考えが存在します。私は、上に書いたようにその発展を歓迎する立場です。しかし、そうではない立場もあります。将棋がつまらなくなってしまった、人間の存在意義がなくなる、もはや将棋ではなく「将棋に似たゲームである」等々・・・。人間がコンピューター将棋とどう向き合っていくべきか、「最善手」はまだ見えません。

 そのようないろいろな考えがあること、コンピューター将棋の受容をめぐって人間が葛藤すること、そういったことも含めて、コンピューター将棋が「21世紀の文学」になるのではないか、と思っています。冒頭に書いたように、コンピューター将棋の台頭で「良くも悪くも」目まぐるしく変化している将棋界。その行く末に、これからも注目していきたいと思います。



オワリ

ハム将棋(pcのみ)

 コンピューター将棋に関する話題ということで、将棋の普及におそらく最も貢献しているであろう、「ハム将棋」を紹介します。誰でも遊べる無料のブラウザ将棋で、最初に将棋を覚えたころは全然勝てないのですが、先を読むことを覚えて勝てるようになっていきました。強いか弱いかといわれればそれは弱いのですが、なんというのでしょうか、「ほどよい弱さ」がとてもいい。 
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