HOME > 教科書への旅 > title - 教科書への旅 #22 「スーホの白い馬」 大塚勇三作

教科書への旅 #22 「スーホの白い馬」 大塚勇三作

 25, 2017 00:45

つまでも、そばに

 国語の教科書からなつかしい名作を紹介しているコーナーです。今回が第22回目になります。たくさんの作品を紹介してきましたが、名作はまだまだ尽きることがありません。今日は、教科書作品の中でも特に有名だと思われるこの作品を紹介します。

 「スーホの白い馬」(小学2年生)です。とても有名な作品で、教科書作品の中でも特に悲しい作品の1つとして語られています。今日は、この名作を、なつかしい教科書の絵と共にご紹介したいと思います。



あらすじ



 昔、モンゴルの草原に、スーホというひつじかいの少年がいました。スーホは、年とったおばあさんとふたりきりで暮らしていました。

 ある日のことです。夜になってもスーホが帰ってきません。おばあさんや他のひつじかいが心配になってきたころ、スーホは何か白いものを抱えて帰ってきたのです。



 それは、小さな白い馬でした。スーホは、白馬が地面にたおれてもがいていたところを見つけ、連れ帰ってきたのでした。

 スーホが心を込めて世話したおかげで、白馬はすくすく育ちました。すっかり立派になった白馬は、自らが盾になって、狼から羊を守り抜いたこともありました。スーホと白馬は、その絆を深めていきます。

 ある日、あたりを治めている殿様が、競馬の大会を開くという話が伝わってきました。競馬の勝者は、殿様の娘と結婚させるというのです。スーホは、自慢の白馬を連れて大会に出ることにしました。そして、スーホと白馬は他の馬をぶっちぎって見事に優勝します。



 しかし、殿様はスーホの貧しい身なりを見て、娘のむこにする約束をなかったことにします。そして、家来にスーホを打ちのめさせて、白馬を取り上げてしまうのです。スーホと白馬の仲は、引き裂かれてしまいました。

 しかし、白馬はスーホの元に戻ろうとしました。上に乗った殿様をはねとばし、一心不乱にスーホのもとに向かいます。背中にはたくさんの矢を浴び、ぼろぼろになりながら、それでもスーホのもとに帰ったのでした。

 スーホと白馬は再会を果たします。しかし、白馬の命はまさに尽きようとしていました。「白馬、ぼくの白馬、しなないでおくれ」、スーホの必死の祈りも空しく、白馬は息を引き取ります。

 悲しさと悔しさでいっぱいの中で眠ったスーホの夢の中に、亡くなった白馬が出てきます。そして、自分の骨や皮を使って楽器を作るようにスーホに言いました。そうすれば、ずっとスーホのそばにいられる、と…。

 スーホは楽器を作りました。その楽器は、美しい音色を響かし、人々の心を動かしました。スーホの作った楽器は「馬頭琴」と呼ばれるようになり、モンゴルの草原じゅうに広まっていったのでした-。

再読!「スーホの白い馬」



 教科書の作品に、このブログで独自の解釈を加えてみたいと思います。

 小学校の時に読んで以来、久しぶりに教科書を開きました。改めて読んでみると、「殿様(権力者)の理不尽、不条理」が際立ちます。スーホの貧しい身なりを見るなり彼を切り捨て、彼と白馬の仲を切り裂いた殿様。理不尽で残酷な仕打ちに、怒りのやり場もありません。

 しかし、その理不尽な仕打ちが、スーホと白馬の絆をいっそう引き立てていることも事実です。これまでの作品紹介でも触れたのですが、国語の教科書の作品では「動物と人間の心の通い合わせ」をテーマにした作品がとても多いです(「ごんぎつね」「大造じいさんとガン」「海の命」・・・)。この作品の読みでも、スーホと白馬の心の通い合わせに注目して読んでみたいと思います。

 今回の読みで注目するポイントは3つです。

①スーホと白馬が心を通い合わせてゆく過程 →スーホの人柄

②殿様の理不尽な仕打ち → 階級や身分という乗り越えられない壁

③白馬をめぐる、2つの異なる「価値観」



①スーホと白馬が心を通い合わせてゆく過程

 話の序盤で、私がとても印象に残っている場面があります。スーホが手負いの白馬を連れ帰ってきた場面です。

みんながそばにかけよってみると、それは、生まれたばかりの、小さな白い馬でした。

スーホは、にこにこしながら、みんなにわけを話しました。



 「にこにこしながら」のところで、少しはっとさせられないでしょうか?この場面は、スーホが弱っている白馬を抱えて戻ってきた場面です。私だったら、スーホが心配そうに白馬のことをのぞきこんでいるところを想像して、「深刻そうに」などと書くと思います。そうではなく、スーホは「にこにこしながら」帰ってきました。

 ここから感じるのは、スーホの「純粋な愛」です。白馬を連れ帰ってくるというのは、彼の穢れのない、真に純粋な気持ちから起こった行動であるということが分かります。

「あたりを見ても、もちぬしらしい人もいないし、おかあさん馬も見えない。ほうっておいたら、夜になって、おおかみに食われてしまうかもしれない。それで、つれてきたんだよ」



 スーホはさらっと言ってみせますが、ここからは「豊かな想像力」が読み取れます。そしてスーホは、白馬を心を込めて世話したのでした。たまたま出くわしただけである白馬に、ここまで心を開くことができて、何の見返りも求めずに心を込めて世話できるというのは、改めて読み返してみると、とても感心できることでした。

 たとえば、「ごんぎつね」で描かれたように、人間が動物と心を通い合わせるということはとても難しいことで、時には悲しいすれ違いを生んでしまいます。また、そもそも動物のことを思う想像力がなければ、動物に心を開くということそのものが起こり得ないことになります。スーホと白馬が心を合わせることができたのは、スーホのこの人柄の部分が一番大きいように思います。スーホの真っ白な心に注目して、その豊かな想像力に触れながら読んでいきたいものです。

 スーホの純粋な思いに白馬が応えてくれたようです。背中に矢を浴びながら、白馬は一心にスーホのもとに帰ってきました。そこで力尽きて亡くなってしまいますが、スーホと白馬の心は決して離れることがありませんでした。



 白馬は、スーホの夢の中に出てきてこう語りかけました。

「そんなにかなしまないでください。それより、わたしのほねやかわや、すじや毛をつかって、楽器を作ってください。そうすれば、わたしは、いつまでもあなたのそばにいられますから」



 スーホは以前、「いつまでもいっしょにいよう」と白馬に語りかけていました。白馬がその言葉に応えた形です。

 私は小学2年生の時に国語の授業でこの作品を読みました。10数年前のことですが、よく覚えているのは、白馬の「死」というものに大きなショックを受けたことです。小さい時に読んだ物語で「死」がでてくるものには、今でも強烈な記憶があります。子供にとって、「死」というものはまだよく分からないもので、それを考えて、ああ、もう一生会えないし、一生話せないことなのか、と理解しだした時に、心にずっしりと重いものがくるのです。

 この物語は、死というものの意味を教えてくれるのですが、そこからさらに、それを「乗り越える」ことも教えてくれます。もう会えないけれど、ずっと忘れなければいいんだ、もういないけれど、一緒にいられるんだ。そういったことです。「心が、「生と死」という概念を超えていくところが見事です。

②殿様の理不尽な仕打ち

 競馬で優勝したものを娘のむこにとるといっていた殿様。スーホの身なりを見た瞬間、態度を変えました。

「おまえには、ぎんかを三まいくれてやる。その白い馬をここにおいて、さっさと帰れ」



 すごく大事な箇所だと思います。スーホと白馬が心を通い合わせて行く様が丁寧に描かれていた分、ここで投げ込まれた「ぎんかを三まい」のむごたらしさが際立ちます。これは③でくわしく見ていきますが、殿様の「価値観」の象徴です。

 おそらく、この殿様はこう思っていたのではないでしょうか。「この貧しいひつじかいには、お金をやれば、うやうやしく受け取って、喜んで帰っていくだろう」。お金を投げやるという行動に、こういった目線を感じます。これは、言ってみれば、殿様なりの「想像力」です。

 権力者と、貧しいひつじかいの間には、同じ人間とは思えないような絶対的な身分の差があります。そして、違うのは身分だけではありません。富める者は、ある一面においては豊かであっても、また別の一面においては限りなく貧しいということが分かります。③でもう少し深めてみたいと思います。

③白馬をめぐる、2つの異なる「価値観」

 この話を読むと、殿様の仕打ちに、もちろん腹は立つのですが、それ以上に印象的なのは、「白馬をめぐる2つの『価値観』がある」ということです。少し図にして考えてみたいと思います。

20170224.png

 白馬をめぐって、2つの価値観があります。同じ白馬でも、スーホにとっての白馬と殿様にとっての白馬は全く異なる存在です。殿様にとって、白馬は「競争で一番になった速い馬」でした。そして、それは、「白馬である必要はない」「代わりがいる」ということでもあります。殿様は、白馬を置いていく代わりに銀貨をやる、そう言い放ちました。ここには殿様の価値観があります。

 スーホにとって、「白馬は心を通い合わせた大切なパートナー」であり、それは決して「他の馬であってはいけない」「代わりのいない」存在でした。スーホにとっての白馬の価値というのは、何かに置き換わるものではありません。

「よくやってくれたね、白馬。本当にありがとう。これから先、どんなときでも、ぼくはおまえといっしょだよ」



 どちらかが絶対的に正しいというわけではありません。ただ、2つの価値観はあまりにもかけ離れていました。それが、殿様の開いた競馬の大会で衝突してしまいました。これは、本当は殿様を責める問題ではないのかもしれません。決して相容れることのない2つの価値観。それは、ただただ悲しいことでした。

 どちらかが正しいということは言えませんが、私は、スーホと白馬の関係は「尊い」ものだと思います。「ずっといっしょにいよう」というスーホの言葉は、今読み返してみるととても重く響きます。スーホは純粋だからこそ、ためらいなくこの言葉を言えたのかもしれません。自分と「違う」存在に心を開いて、「ずっといっしょにいよう」などと言えるようになるのは、人間の、究極的に尊い感情だと思います。それを一心に信じたスーホも、そんなスーホのもとに一心に戻った白馬も、とても尊いのです。

 「馬頭琴」という楽器ができた由来になっている、モンゴルの素敵な民話でした。引き裂かれてしまったようで、彼らは決して引き裂かれなかったということ。楽器の音色に耳を傾けながら、静かに想ってみたいものです。



教科書


教科書への旅 一覧ページ

 なつかしい国語の教科書の作品を揃えています。ぜひ他の作品もご覧ください。

「ごんぎつね」 新美南吉(小学4年生)

 同じ「動物と人間」というテーマで、こちらもとても悲しいお話です。心を通い合わせることがいかに難しいか、ぜひこの作品から感じてみたいものです。

スポンサーサイト

教科書,



  •   25, 2017 00:45