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  • 呪いの結実 -『劇場』 又吉直樹

     27, 2017 19:20
     又吉直樹さんの、待望の2作目が発表されました。今作は、長篇300枚の恋愛小説で、タイトルは「劇場」です。『火花』で芥川賞を受賞した又吉さん。次は、いったいどんな作品を読ませてくれるのだろう。心待ちにしていた舞台の幕が上がりました。

     
    新潮 2017年 04月号
    新潮 2017年 04月号
    posted with amazlet at 17.03.27

    新潮社 (2017-03-07)



     冒頭から、随分と煽ってしまいました。「待望の」「心待ちにしていた」・・・それは、私だけでなく、多くの人から又吉さんに向けられた目でした。次作を期待する周囲からの視線は、又吉さんを大きく苦悩させたことと思います。先月放送されたNHKスペシャルでは、その苦悩の様子がまざまざと記録されていました。

     人が苦悩して何かを生み出すということは、それ自体がかけがえのないくらいに尊いことです。又吉さんが何を描こうとしたのか、ゆっくりと噛みしめるように読ませていただきました。



    内容紹介



    日本現代文学

    界の全てを否定しようとした男が、唯一、受け入れようとしたもの

     主人公の永田は、無名の劇団で脚本を書いています。最初に書いておきます。彼は、どうしようもない男です。彼は平凡であることや、俗物にまみれることを嫌いました。しかし、平凡や俗物への嫌悪は「自己嫌悪」に他なりませんでした。そんな風に書けば、彼がどうしてどうしようもない男なのか分かっていただけると思います。

     全てを否定し、自分と、他人を傷つけるしかなかった永田。そんな彼は、ある日一人の女性と出会いました。青森から女優を目指して東京にやってきた女性、沙希(さき)です。永田は、何の脈絡もなく、唐突にこう思ったのでした。

     -この人なら、自分のことを理解してくれるのではないか

     こうして、物語の幕が上がりました。屈折した永田は、もちろん「普通の恋愛」などするはずがありません。それは、感情が揺さぶられ、ぐちゃぐちゃになる物語の始まりでした。

    書評



    書評

    ◆ 目を逸らせない

     生きるということは、いかに「目を逸らすか」ということだ。私はそう思っています。

     人間や世界は、そんなに美しくはできていません。醜さや愚かさ、理不尽さで埋め尽くされています。そんなことは、誰もが分かっています。しかし、そんなことを深く考えて、いちいち「醜い自分」や「醜い世界」を見つめていたら、どうしようもないくらい消耗して、まいってしまうのです。だから、私たちはそういったことからは目を逸らして、見なかったことにしてなんとか生きています。

     もし、目を逸らさない人間がいたらどうでしょうか。醜さや愚かさを、全部見つめようとするのです。そんなことをすれば、深く傷付き、苦しみ、ぐちゃぐちゃになってしまうでしょう。私には、耐えられる気がしません。

     この小説の中には、「目を逸らさない」稀有な人間がいました。主人公の永田です。そして、私が思うに、作者の又吉さんも同じ人種です。

    ある感覚をないことにするのは理屈上では簡単だけど、あくまでもそれは自分で理屈に負けてやっているだけの話で、負けを認めたからといっても、そのなかったことが引き連れている苦しみなり痛みなりが消滅するわけではなかった。本当はある負債のようなゴミのような、それでも懐かしいような感覚は自分で抱え続けるか処理しなければならないらしい。



     永田はこんなことを言います。こんな奴です。自分で勝手に深くに潜り込んで、そして傷を負っている-辛辣ですが、そんな言い方もできます。

     引用したこの一節だけでも十分に感じ取っていただけると思いますが、この作品は、読み手を消耗させ、その体力を奪っていきます。それもそのはず、私たちが普段目を逸らしている類のことを、「ほら、見ろよ、見るんだ」とばかりに突き付けてくるからです。

     なんだかいきなりげんなりさせてしまうようですが、忘れてはいけないことがあります。読み手を激しく消耗させるということは、それ以上に「書き手」が消耗しているのです。又吉さんの苦悩、葛藤といったものは、露骨に、痛いくらいに感じることができます。

    「本当によく生きて来れたよね」



     この作品にこの一節あり。間違いなく、そんな台詞です。これは、沙希が永田にかけた言葉です。彼女と手をつなぐことすら恥ずかしく思えてためらってしまう永田。沙希は、笑いながらそう言いました。「本当によく生きて来れたよね」、これは、読者が又吉さんにかけたくなる言葉でもあると思います。

     又吉さんは、愚直な人です。そして、それこそが「小説家・又吉直樹」の最大の魅力であると私は思います。

    ◆ 歪な恋愛

     さて、そんな永田が出会ったのが沙希でした。「この人なら、自分のことを理解してくれるのではないか」、彼はそんなことを、根拠もなく思ったのでした。そして、彼女に声をかけます。最初は拒絶されかけますが、沙希は何者も拒絶することができない、そんな人でした。唐突な出会いから、二人は関係を深めていきます。

     永田が感じた沙希の魅力というのは、そのあとで語られることになります。沙希は正直な人でした。感情を隠すことができず、あらゆる感情がない交ぜになった表情を見せます。そのようにごちゃまぜになった感情というのは、永田がもっとも惹かれるものでした。

     あらゆる感情がごちゃまぜになっている、というのは、あらゆる感情を「切り捨てることができない」と言い換えることもできます。彼女は、変人としか言いようのない永田に突然言い寄られても、彼を拒絶することをしませんでした。

    沙希は顔を引きつらせながらも、いつかの自分を拾ってくれた。排除するのではなく、取り込む。受容する。そうすれば、なにかが見えてくるのではないか。



     愚直なまでに自分を見つめ、「吐き出す」男と、あらゆるものを「取り込む」女。二人は、出会うべくして出会ったのかもしれません。

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     しかし、二人がそのまま愛を結実させるのかといえば、そうではありませんでした。

    世界のすべてに否定されるなら、すべてを憎むことができる。それは僕の特技でもあった。沙希の存在のせいで僕は世界のすべてを呪う方法を失った。沙希が破れ目になったのだ。だからだ。



     永田の恋愛観は歪んでいます。そのことを象徴するような一節です。これまで世界のすべてを否定することで自分を保っていた永田の前に突然あらわれた愛しい女性。すべてを憎んでいた彼が、普通に「愛する」ことなどできるはずがありません。

     くだらないプライド。醜い自己愛。甘え。

     永田のどうしようもないそれらを、それらでさえも、沙希は全て受け入れようとしました。彼女は本当に、拒絶するということを知らないのでしょう。彼女もまた、「目を逸らすことのできない人間」なのです。

     そして、すべてを受け入れようとした沙希もまた、「消耗」していきます。2人の関係はぐちゃぐちゃになり、物語は終盤に向かいます。

    一番会いたい人に会いに行く。こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろな。



     物語の最終盤になって、永田はこう言います。当たり前のことに思えるけれど、決して「目を逸らさない」2人からすれば、それはとても難しいことだったのだろう、と私は思いました。

     「恋愛小説」という触れ込みからは到底想像のつかないような、ぐちゃぐちゃで、歪んだ恋愛です。しかし、そこには間違いなく「愛」がありました。又吉さんの愚直な姿勢は、作品として見事に結実しています。


    ・・・と、いったんまとめておいてですね。この作品は、まったく別の解釈もすることができるのではないか、と私は思っています。それは、沙希が実存しない「幻影」だ、という説。つまり、沙希という女性は、永田が一人部屋の中で描いていた幻影だった、という解釈です。

     読んでいて思いますが、沙希からは「存在感」を感じることができません。それは異様なほどです。突然現れ、永田と心を通わせている。偏屈で腐りきった永田という人間を、どういうわけか全て受容しようとする。読んでいるうちに、沙希というのは永田が思い描いているにすぎない幻影なのではないか、という解釈が頭をよぎりました。

     本当のところはどうなのでしょう。ぜひ、読んで確かめていただきたいと思います。

    まとめ



    まとめ

     われ続ける作家、又吉直樹。



     腸(はらわた)をねじくり回されるような小説です。痛み、苦しみ、苦悩、葛藤。深く読もうとすればするほど、えぐられます。

     「屈託に呪われている」。文芸誌「新潮」の編集者さんが、テレビで又吉さんのことをこう評しておられました。「いやぁ」、テレビの前で思わず声が出ます。さすが、又吉さんの作品に赤を入れている編集者さんだけあります。見事に又吉さんという人を射抜いている表現です。

     又吉さんは、今後も「呪われ」続けるでしょう。そして、その呪いの先にあるものが、呪いの結実としてあるものが、又吉さんにとっては「小説」なのではないでしょうか。

     多くの人に手に取っていただけたであろう『火花』。この作品も、ぜひそれに続いてもらいたいものです。




    オワリ

    又吉直樹さん「火花」を読む #1 「平凡と非凡」

     デビュー作、『火花』。このブログでは3回シリーズでたっぷりと感想を書きました。ぜひ合わせてごらんください。
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