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 万感の思い、というのでしょうか。一人の男が、全力をかけてやり抜いた大きな「役割」を見届けて、ふーっと大きく息をつきました。「育ててくれて、ありがとうございます」。他人の私が、心の底からそう思って、頭を下げたくなりました。

銀河鉄道の父
銀河鉄道の父
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門井 慶喜
講談社
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 その男の人とは、日本を代表する童話作家、宮沢賢治の父である宮沢政次郎(まさじろう)です。宮沢賢治の家族といえば、有名なのは弟の清六さんや妹のトシさんかもしれません。賢治のお父さん・・・はて、どんな人だったのだろう。私も、読む前はそう思っていました。

 門井慶喜さんが、宮沢賢治の父親を描いた小説、『銀河鉄道の父』を発表されました。読み終えて、今私は、会ったこともないその人に、深々と頭を下げてお礼を言いたい気持ちに包まれています。



内容紹介



エンターテイメント

 才の父の、苦悩と、葛藤と、愛と。

 裕福な質屋の長男として生まれた宮沢賢治。のちに日本を代表する童話作家として名を残す彼ですが、「家の長男」としては、いささか親不孝者だったかもしれません。「質屋に学問はいらない」と祖父が反対する中、中学校に進学し、さらには家業から大きく外れた道である農林学校に進学し、実家の宗派である浄土真宗を踏み倒し、そして、家を継がず、神様から与えられた「童話」という道を進んだ―。

 そんな奔放な生き方を許してくれた人。その人こそが、彼の父親、宮沢政次郎です。

 「父でありすぎる」彼は、狂おしいほどに息子を愛していました。ですが、同時に宮沢家の父親、一家の長としての責任も背負おうとしていました。時には厳しく賢治を叱り飛ばし、時には声をかけて励ましたくなるところをぐっと我慢し、時には自分のやり方が本当に正しいのか、深く思い悩みました。

 宮沢賢治という作家を世に送り出した一人の父親の、等身大でありながら、包み込むように大きな愛の物語です。

書評



書評

◆ 愛だけじゃ、父にはなれぬ

 この物語は、序盤と終盤に「看病」のシーンが出てきます。いずれも、父の政次郎が息子の賢治を看病しているのです。最初は、幼いころに赤痢を患った賢治。そして、晩年に病で床に伏した賢治。

 今の時代とは感覚が違うと思いますが、賢治が生まれたころは「看病は女の人がするもの」という時代でした。男の人が、それも父親が直接、息子の看病をするというのは、すごいことだったようです。世間の人から恥だと思われたかもしれません。しかし、政次郎はそんなことに構いもせず、賢治につきっきりで看病しました。「この子はうちのあととりなんだ」、と。

 序盤のそんなシーンで、読者は父政次郎の「愛」の大きさを痛いほど感じることができます。ですが、子育ての難しいのは、「ただ愛するだけではいけない」ということではないでしょうか。政次郎が愛のある父親であったことは間違いありません。ですが、愛するがゆえに、父親として彼は悩むのです。

父親になることがこんなに弱い人間になることとは、若いころには夢にも思わなかった。



 政次郎の胸に、こんな思いが去来します。「弱い」の語を見て、私は深いため息をつきました。まだ「親」になったことのない私にとって、親とは「強さ」のイメージがありました。子供を生んで、一人前になるまで育て抜く。その「強さ」です。

 しかし、この物語の魅力は、「弱さ」のほうにあります。政次郎は、一人の父や家長である前に、等身大の人間でした。迷うのです。思い悩むのです。葛藤するのです。それは、食卓の一番奥で偉そうに腕を組んでいる「昔の父親」像とは遠くかけ離れた姿でした。政次郎が、等身大にもがき苦しんで、それでも「父親」であろうとする。読者が何よりも惹かれるのはそこだと思います。

子供のやることは、叱るより、不問に付すほうが心の燃料が要る。そんなことを思ったりした。



 叱った方がいいのか、何も言わず、黙って見守る方がいいのか。優しく教え導く父親がいいのか、厳しく、壁になるような父親がいいのか。……政次郎の悩みは、賢治が大人になっても、永遠にやみませんでした。

 もしかしたら、親になるということは、一生かけてやることなのかもしれない。親とは、一生かけなければ、本当の意味ではなれないものなのかもしれない。

 私は、そんな風に思いました。

賢治はいつか気づくだろうか。この世には、このんで息子と喧嘩したがる父親などいないことを。このんで息子の人生の道をふさぎたがる父親などいないことを。



 父と息子は、時に激しく喧嘩をしました。宮沢賢治は「家の長男」に求められていた生き方からは大きく外れる道を行ったのです。父親としての、家長としての政次郎の思いはよく分かります。しかし、喧嘩をしても、息子が長男の道を踏み外しても、父はそれでもなお、息子を愛しました。

 懸命に愛してみせるけれど、息子はいつかそれに気付いてくれるのだろうか。厳しい父親の顔をしながら、胸の中で切なさを湛える政次郎。狂おしいまでの愛に、胸がきゅっと締め付けられるようでした。

銀河鉄道の父


◆ 合わさらぬ背中

 父親の愛は、息子に届いたのでしょうか。「届いていた」そう確信できるシーンがありました。26歳になった賢治が、人知れず、父のことを想います。

尊敬とか、感謝とか、好きとか嫌いとか、忠とか孝とか、愛とか、怒りとか、そんな語ではとてもいいあらわすことのできない巨大で複雑な感情の対象、それが宮沢政次郎という人なのだ。



 父親から息子への感情がとても複雑なものなら、逆もまた然りだったのです。「尊敬」とか、「感謝」とか。そういう言葉をブログで書こうとしていた私は、ここで立ち止まって考えることになりました。「息子」の気持ちは、私にも分かります。たしかに、好き嫌いで測れるものではないと思います。育ててもらったこと、感謝はしていますが、気恥ずかしくて、面と向かってはなかなか言えません。つい、生意気なことを言ってしまいます。

 息子は、父の背中を見て育ちます。それは、一番近くにあるようで、実は、一生合わさることのない、一番遠くにある背中なのかもしれません。近いような、遠いような。親子の「距離」の妙の、なんと不思議なことでしょうか。

 
 互いに反発もしあった親子でしたが、間違いなく、「この父あってこの子あり」だと私は思いました。童話を書くという道を選んだ賢治。父の政次郎にとっては無縁の世界で、最初は賢治の書いた童話をほとんど読んでもいませんでした。それが、だんだんと、息子の進んだ道を理解し、そして息子が書いたものに魅力を見出していきます。

 賢治が思い悩むとき、やはり、父は厳しい言葉をかけました。

「くよくよ過去が悔やまれます。机がないと書けません。宮沢賢治はその程度の文士なのか?その程度であきらめるのか?ばかめ。ばかめ」



 厳しくなじって、愛のない言葉にも見えます。でも、その後で、

内心では、
(なにも、そこまで)
自分でも嫌になるのだが、どうしようもなかった。口も手もやまない。父親の業というものは、この期におよんでも、どんな悪人になろうとも、なお息子を成長させたいのだ。



 愛するだけでは子育てはできない、と書きました。そう思わせた箇所の1つです。「悪人になってでも」。息子を愛する父として。息子の童話を愛する者として。退路を断つような、凄まじい覚悟でした。

 賢治の童話は今も日本中で愛されています。彼に、この道を行かせてくれた。だから、私は深々と頭を下げたくなったのです。

まとめ



まとめ



 結局、宮沢賢治は親孝行者だったのでしょうか、それとも親不孝者だったのでしょうか。

 長男として、父親が心の中で望んでいた生き方をすることはありませんでした。奔放な行動、自分の信念を貫き通そうとする頑固な態度、そして、数えきれないほどの喧嘩。そういったものを思い浮かべて、親不孝者だったのかな、と考えてもみましたが、それは違うのだと思います。

 「こんな息子ではありますが、これが私の息子ですから」

 空の向こうで、政次郎がそう微笑んでいるように思いました。「父親」をやり抜いたその人に、私は深い尊敬の念を抱きます。

 ◆ 殿堂入り

 「最果ての図書館」は、『銀河鉄道の父』を「シルバー」に登録しました。子供を育てる全ての人に、そして親に育てられた全ての子供に。広く読まれて欲しい本です(バナーをクリックすると、「シルバー」の本一覧が開きます)。





オワリ

宮沢賢治・イーハトーヴへの旅 #8 「永訣の朝」

 このブログでは宮沢賢治の作品を紹介しています。第8回に取り上げた「永訣の朝」は、賢治が妹のトシの死に際して詠んだ詩です。この小説の中にも出てきて(7、8章)、重要な役割を果たしていました。


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小説, 門井慶喜, 宮沢賢治,



銀河鉄道トップバナー

 前回スタートした連載企画、「銀河鉄道の夜」。今回は第2話です。

 さて、コーナーのロゴを新しくしてみました(スマホでもきれいに表示されるサイズにするためです)。そして、ロゴの下にも書いたのですが、このコーナーは「毎週日曜日よる9時」 に更新する連載企画です。投稿時間も固定することにしました。毎週日曜の夜は、「最果ての図書館」で「銀河鉄道の夜」!ぜひ、のぞきにきてくださるとうれしいです。

 そして、連載の回数ですが、全10回を予定しています。ということは、最終回は・・・。いえいえ、何でもありません。

 コーナーの概要をご紹介したところで、今夜もさっそく、銀河鉄道への旅へと出かけていきましょう。



今夜のあらすじ



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 冷たいこころ

 ジョバンニは銀河のお祭りの烏瓜(からすうり)流しに行くため、坂を下りていました。そこでジョバンニは、クラスメートのザネリとすれ違います。ジョバンニはザネリに声をかけるのですが、ザネリにこう言われてしまいます。

 「ジョバンニ、おとうさんから、ラッコの上着が来るよ」

 ザネリは、漁に出ているジョバンニのお父さんのことをいつもからかうのです。ジョバンニは、ばっと胸がつめたくなり、悔しくてたまらないのでした。

 町に出たジョバンニは、時計屋に飾られている星座早見を見つけます。ジョバンニはその図にすうっと魅入られました。「この中を歩いてみたい」、彼はそう思ってうっとりするのでした。

 牛乳屋を訪れたジョバンニでしたが、お母さんに届ける牛乳をもらうことはできませんでした。その帰り、ジョバンニはまたザネリたちに出くわします。「ラッコの上着が来るよ!」今度はみんなに馬鹿にされるのでした。そしてそこには、カムパネルラの姿もありました。カムパネルラは気の毒そうに、少し笑ってうつむいていました。

 辛くなったジョバンニは泣きたいのをがまんして走り出します。黒い丘の上に向かい、そして、体をどかっと野原におろしました。

 そのときです。ジョバンニは聞きました。野原から、汽車の音が聞こえてきたのです・・・。

 to be continued

解説



 前回の1話と今日の2話が作品の導入部分です。今日の部分は、何度読んでもその美しさにため息がこぼれます。ジョバンニの深く暗い海のような悲しみを丁寧に描きながら、徐々にムードが高められていきます。そして、いよいよ彼の前に銀河鉄道が開けてくるのです。今日はその瞬間まで。物語の構成もそうなのですが、賢治の描写1つ1つが本当に美しくて、物語の導入部でこれ以上素晴らしいものはない、と私は思っています。

 彼らが暮らす町や、ジョバンニが駆けていく野原の描写も本当に美しいんです。文章を読んでいるというより、幻想的な絵巻物をめくっている気持ちになります。こういった細部にまで渡った美しさがあるから、銀河鉄道が見えてくる場面がより際立ってくるのだと思います。

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 さて、今日は「ジョバンニとザネリ」というテーマで読んでいくことにしましょう。私が今回読んでみて改めて思ったのは、宮沢賢治は「純粋な邪悪心」を描き出すのもまた抜群に上手いな、ということでした。

「ザネリ、烏瓜ながしに行くの。」ジョバンニがまだそう言ってしまわないうちに、その子が投げつけるようにうしろから、さけびました。

「ジョバンニ、おとうさんから、ラッコの上着が来るよ。」



 漁に出ていてなかなか帰ってこれないジョバンニのお父さん。そんなお父さんが学校に持ってくる珍しい標本を、クラスメートたちはからかい、冷やかします。物珍しいものを見るとからかいたくなるのは子供の性です。そして、悔しそうにするジョバンニを見てもっとからかいたくなるのも、やはり子供らしいことです。ザネリたちの、子供ならではの「純粋な邪悪心」というのは、自分の子供のころを思い出すとよく分かります。純粋なだけに、厄介な存在ですね。

 ただ、ジョバンニにとってそれはただの冷やかしではありませんでした。一生懸命働いているお父さんが侮辱されたのです。ジョバンニもまた、純粋な存在です。だから、頭が割れるような、世界がひっくり返るようなショックがあったのだと思います。だから、こんな描写になります。

ジョバンニは、ばっと胸が冷たくなり、そこらじゅうきいんと鳴るように思いました。



 私は、賢治の勢いがあってダイナミックな描写も好きです(例えば、「鉄砲玉が飛び出すような」など)。この「ばっと胸が冷たくなり」もとても印象的な描写です。ジョバンニがその瞬間に感じたショック、そしてその後で覆われる深い悲しみ、そういったものが、読者にも「ばっ」と一瞬で伝わってくる、そんな風に感じないでしょうか。

 このあとの文章を読んでいると、不思議なことに、ひんやりとする感じが肌に伝わってくるのです。「ばっと胸が冷たくなり」という描写はそれだけインパクトがあって、読者にも深い悲しみを感じさせました。

 ジョバンニは、孤独を深めていきます。

(ぼくはどこへもあそびに行くとこがない。ぼくはみんなから、まるで狐のように見えるんだ)



 幼い子供が、これほどまでに孤独を深めていくことにぞっとします。どんどん世界にジョバンニの居場所がなくなっていくのが辛い。このままでは、ジョバンニが消えてしまう。最初に読んだとき、私はそんな風に直感的に思ったものでした。

 今にも消え入りそうなジョバンニの前に開けた銀河鉄道。いよいよ、次回から旅の本編が始まります。いったい、それはどんな意味を持った旅なのでしょうか。

銀河アルバム



 宮沢賢治の心象スケッチをコレクションしていきます。今日は時計屋さんで星座早見を見つけた場面から。

銀河アルバム

 幻想度 ★★★★★

いちばんうしろの壁には空じゅうの星座やふしぎな獣やへびや瓶(かめ)などの形に書いた大きな図がかかっていました。ほんとうにこんなような蠍(さそり)だの勇士だのそらにぎっしりいるだろうか、

ああぼくはその中をどこまでも歩いてみたいと思ったりしてしばらくぼんやり立っていました。



 「銀河鉄道の夜」の冒頭部分が本当に美しいんだ、という話をしました。ここもその1つです。この場面が、これから始まる銀河鉄道の旅の素敵な「予告編」になっていることが分かります。例えばここに出てくる「さそり」は、物語の後半で重要なエピソードとして出てくるんです。宮沢賢治が作品の冒頭から、実に丁寧に世界観を作っていたことが分かりますね。

 そして、星座の図を見て、「この中を歩いてみたい」と思うその豊かな想像力は、毎度書いていることですが見事なものです。ジョバンニの前に銀河鉄道が見えてくるまでに、こんな風に丁寧にムードが高められていっているんですね。



銀河サイドバー

 日曜日のよる9時に更新していこうと思うのでよろしくお願いします。長い連載で完走できるかちょっと不安ですが、ぜひ気長に見守ってやってください。

エピソード・リスト
1話から読む
「イーハトーヴへの旅」(宮沢賢治のコーナー)

★ 次回予告

第3話 「銀河ステーション」

 青い琴の星を見たジョバンニは、気付くと「そらの野原」に立っていました。そして、どこからか不思議な声が聞こえてきます。「銀河ステーション、銀河ステーション・・・」。その時、目の前がばっと明るくなりました。

 ごとんごとんと揺れる音。そう、ジョバンニは、本当に列車に乗っていたのです。そして、ジョバンニの目の前にある子供が姿を見せたのでした・・・。


宮沢賢治,



 宮沢賢治の生涯を「食」にフォーカスして描いた漫画が発売されました。1冊で心も体もいっぱいに満たされるような、そんな素敵な作品になっています。

宮沢賢治の食卓 (思い出食堂コミックス)
魚乃目 三太
少年画報社 (2017-03-27)
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 表紙で右上を眺めている優しそうな男性がこの漫画の主人公、宮沢賢治です。温もりのある作品だということが感じていただけると思います。宮沢賢治の「孤高の人」などとイメージしている方がおられたら、さっそく裏切られるビジュアルかもしれません。表紙に書かれているこの絵には、この作品の魅力がたっぷりと詰まっています。

 宮沢賢治の生涯はとても有名で、国語の教科書にも掲載されるくらいです。私も、知っているエピソードがたくさんありました。ですが、作者の魚乃目さんが、「食」を通して、温もりで味付けしたこの作品は、私たちに新しい宮沢賢治を教えてくれるに違いありません。



内容紹介



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 漫画の中身はお見せできないので、帯の写真を紹介します。この作品で描かれるのは、おそらく、人々のこれまでのイメージを塗り替えるような「新たな宮沢賢治」の姿です。

 宮沢賢治の作品には息をするのも忘れるような美しさがあります。そのため、宮沢賢治というとどこか聖人化、神格化されたイメージを持たれることがあります。私もそんなイメージを持ってしまいがちな一人です。彼の作品は、本当に人間がこれを生み出したのかというくらいに美しく、おののいてすらしまうからです。

 しかし、いったん宮沢賢治という「人間」に着目してみるとどうでしょうか。彼はとても人間味のある人でした。作品からは想像できないような豪快なエピソードもあります。この作品は、そんな賢治の人間味あふれる部分を伝えてくれるでしょう。「モノマネと冗談の名人」「涙もろくて、情に厚い」帯に書かれているように、彼の愛すべき人間としての姿が描かれます。

 「・・・そして、食いしん坊」

 この作品でフォーカスされるのが「食べ物」です。1話につき1つの食べ物がテーマになっていて、全10話から構成されています。「鳥南蛮そば」「ハヤシライス」「サイダーと天ぷらそば」「樺太のほっけ」・・・などなど。食べ物の描写は本当に魅力的で、食欲をそそります。そして、食を通じて見えてくる賢治の「人生」や「世界観」がありました。次からの書評パートでくわしくご紹介します。



書評



イーハトーヴ

こが面白い!「宮沢賢治の食卓」3つの魅力

① 喜怒哀楽の、ダイナミックで豊かな描写
② 食べ物を美味しく魅せる、様々な工夫
③ 「食」から見えてくる賢治という「人」


 作品の魅力を、3つに分けてご紹介します。

① 喜怒哀楽の、ダイナミックで豊かな描写

 まず、これが最初に印象に残ることではないかと思います。魚乃目さんの絵にはとても温もりがあって、そして喜怒哀楽の描写が豊かです。からだいっぱい、コマいっぱいに感情が描かれているので、読んでいると感情がコマを飛び越えて、読者にも押し寄せてくるような感覚になります。

「沼田くん」
「はい」

「お腹空いてねーが?」(一品目 鳥南蛮そば)



 特に、食べ物が出てくる時の賢治は本当に幸せそうで、二カッと笑った顔にこちらにも笑顔が伝染しました。もちろん、描かれるのは楽しそうな顔ばかりではありません。時には顔をくしゃくしゃにして泣き、時には烈火のごとく怒ります。全ての感情が「全力」で「ダイナミック」。それが、読者の心を掴みます。

② 食べ物を美味しく魅せる、様々な工夫

 さまざまな食べ物が出てきますが、その描写が秀逸で、食欲をそそります。食べ物を美味しくさせるために、絵以外にもいろいろな工夫がされているように感じました。

 私が好きだったのは、「口を大きく開けて食べるところ」です。賢治は食べ物をほおばる時、大きく口を開けます。それで満面の笑みを見せるものですから、もう何を食べても極上の食べ物に見えてきます。

「いただきます!!」

「うめえなっす!!はじめて食べる味だ」(五品目 樺太のほっけ)



 「花巻の方言」「オノマトペ」も食べ物を美味しく引き立ててくれるでしょう。方言は温もりや優しさを感じさせる不思議な言葉の魔法ですね。それに、「ぐつぐつ」などのオノマトペもとても種類が豊富で、臨場感を出しています。宮沢賢治といえば天才的な感覚で独自のオノマトペを使いこなしましたが、作者も本家に負けず、オノマトペを効果的に用いています。

③ 「食」から見えてくる賢治という「人」

 「食」が「人」をつくる

 そのことを、強く感じさせられる作品でした。食は「いのち」です。生命をつなげるだけではなくて、食べたものが血となって肉となって人間を作っていく。そのことに思いを馳せます。知っているエピソードがたくさんありましたが、それらに「説得力」を感じたのは、人を作っているものである「食」にこの作品が立ち返ったからではないかと思います。

 「お腹、すきませんか?」

 その言葉が、不思議な魔法のように思えました。食べ物を通じて感じる「生きるよろこび」「幸福感」、満たされた私たちが忘れかけていることが鮮やかに描かれていて、はっとさせられるのです。

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 最後に、印象的だったエピソードを2つご紹介します。

◆ 「アイスクリーム」(3品目)


 賢治について知っておられる方は気付けるかもしれません。この話では、賢治の最愛の妹、トシとの別れが描かれています。取り上げられる作品は「永訣の朝」です。

どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い(とうとい)資糧(かて)をもたらすように (『永訣の朝』)



 アイスクリームは「雪」のことです。本当の食べ物ではないので、この話は特別な位置づけにあるかもしれませんね。亡くなる直前、冷たいあめゆぢゅ(雨雪)を食べたいといったトシ。賢治は必死にかけまわって雪をとってきます。そして、迎える最後の時-。胸が締め付けられるようなエピソードです。

 トシが亡くなった後、賢治の慟哭が1ページをまるまる使って描かれます。圧倒されました。1冊の中でもっとも心を動かされた1ページかもしれません。

 悲しいエピソードには違いないのですが、それでも根底に「温もり」があるというのがこの作品の魅力だと思いました。賢治がどれだけトシのことを愛おしく思っていたのか、トシがどれだけ周りの人に愛されていたのか、それがひしひしと伝わってきます。

◆ 「弁当」(九品目)

 賢治は勤めていた学校にいつも弁当をもってきていたと言います。それだけで賢治に親しみを感じることができるような、弁当というのはそんな不思議な食べ物ですね。

 賢治の同僚の先生が病気で学校に来れなくなり、賢治はその先生のもとに通います。手には母に作ってもらったお弁当、そして先生を援助するためのお金を握りしめて。

「うわ~
うめぇ・・・・・・
こんな美味しい物
はじめて食べた」



 ビフテキが詰まったお弁当。賢治の優しさが調味料になって、世界で一番ぜいたくな食べ物になったようです。作った人の顔や気持ちが見える弁当。豪華な料理が並んでいるこの作品の中で、ひときわ輝きを放っていました。

 ですが、先生は結局亡くなってしまいます。トシと同じ結核で、亡くなった日も、奇しくも妹トシが亡くなった日と同じだったそうです。このことは、賢治に大きな無力感を与えることになります。

 賢治の作品にどこか漂う「かなしみ」。そして、「ほんとうのさひわい」を求める旅。それらは、こういった体験から生まれた賢治の価値観だったようです。もう一度、彼の作品に立ち返りたくなります。

まとめ



まとめ



 「おなかいっぱい」になる、素敵な1冊でした。多幸感がからだを包みます。読む人を幸せにできる、素晴らしい漫画だと思いました。

 そして、今後何度もこの本を開きたくなるような、そんな予感も覚えました。ちょっと寂しくなった時に居場所を求めたくなるような、そんな雰囲気があります。

 このブログでこれまで紹介してきた作品も収録されていますが、この本を読んだ後ではまったく感想が変わりそうです。もう一度、賢治の作品を読み返したいと思います。今度は賢治という「人」を感じながら。そんな旅になりそうです。




オワリ

宮沢賢治の食卓 第1話試し読み

 第1話が無料で試し読みできるようです(2017/4/16現在)。ぜひ読んでみてください。

宮沢賢治・イーハトーヴへの旅 旅程表

 今回で19回目になりました。宮沢賢治の作品や宮沢賢治に関するトピックを取り上げています。


魚乃目三太, 宮沢賢治,



スクリーンショット (24)

 前回に引き続き、「宮沢賢治・イーハトーヴへの旅」の1周年記念スペシャルです。「宮沢賢治のオノマトペ・ラボ」と題して、宮沢賢治の作品に登場する数々の創作オノマトペを紹介し、その秘密に迫っています。

 前回は「実験編」と題し、宮沢賢治の創作オノマトペに見られる様々な法則を紹介しました。宮沢賢治が慣習的なオノマトペに少し手を加えて独自のオノマトペを生み出していく様はまるで面白い実験でも見ているかのようで、「実験編」というタイトルを付けるに至りました。さて、今回は「鑑賞編」をお届けします。宮沢賢治が独自のオノマトペを生み出していったメカニズムを理解したところで、今回はそこから生まれる文学的な味わいをじっくりと鑑賞してみようと思います。



イントロダクション



賢治オノマトペの謎を解く
田守 育啓
大修館書店
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 前編では、田守育啓さんが書かれたこの本を参考にさせていただきました。田守さんの専門は言語学であり、文学ではありません。というわけで、この本も文学的視点からではなく、言語学的視点、特に音象徴学的視点から書かれています(p246)。私はいつも文学の視点からのみで賢治の作品を読んでいるので、この「文学から切り離したアプローチ」というのはとても新鮮でした。賢治作品の魅力がこれまでよりもさらに増したように思うのです。

 今回の鑑賞編では、田守さんの言語学的なアプローチを生かしつつ、私が普段このコーナーでやっている文学的なアプローチと絡めていく形でオノマトペを鑑賞してみたいと思います。鑑賞の対象として、これまでこのコーナーで紹介してきた作品の中から3つの作品を選びました。紹介する作品は、『なめとこ山の熊』『どんぐりと山猫』、それに『やまなし』の3作品です。

『なめとこ山の熊』×オノマトペ



なめとこ山の熊 (日本の童話名作選)
宮沢 賢治
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#17 『なめとこ山の熊』

 『なめとこ山の熊』はこのコーナーの前回に紹介した作品です。「人間と動物が心を通い合わせる」という賢治の願いが追及された作品だと思います。最後に人間の小十郎は死んでしまうのです。悲しさと、やるせなさと、しかしどこか満たされたような、そんな感情が込み上げてくる結末は賢治の作品の中でも指折りの完成度だと思います。

 この作品にはたくさんのオノマトペが出てくるのですが、作品を覆う雰囲気である、悲しさややるせなさをまとったオノマトペが多いように感じます。人間も動物も植物もその価値は平等である、それが宮沢賢治の信念でした。しかし、現実の世界ではそうはいきません。食うもの、食われるもの―自然界にはピラミッドがありました。そして、人間同士でもピラミッドは存在しています。まるで作品全体が、そのことを嘆いているようです。この作品から1つオノマトペを紹介することにしましょう。

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小十郎がまっ赤な熊の胆をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。



 「ぐんなり」した風、という表現が使われています。「ぐんなり」は力が抜けたり衰えたりするさまを表す語句ですね。「ぐんなり」は慣習的なオノマトペにも存在しますし、ぐんなりした風、という表現がとりわけ奇特なものである、というわけでもありません。しかし、この表現を作品全体を踏まえて見つめてみると、これがただ力の弱い風ではないことが分かります。

 風も共に悲しんでいる

 私が感じた印象を一言で言い表すとそうなります。先程、この作品は作品全体が悲しみややるせなさをまとっている、と書きましたが、そう感じさせるのは、風や山、川など、この作品に出てくる自然の事物が、印象的なオノマトペを伴って、まるで感情を持っているかのように描かれているからです。

 人間が生きるために熊を殺さなければいけないこと。人間である小十郎も、熊も、そして自然も、そんなことは望んでいないのです。それなのに、小十郎は熊を殺さなくてはいけない。「熊が憎いわけではないんだ」、小十郎の言葉に自然が呼応しているようです。この「自然も一緒に悲しんでいる」ということを、作品を読んでぜひ感じていただきたいと思います。

『どんぐりと山猫』×オノマトペ



 悲しみのオノマトペから、打って変わって面白いオノマトペを紹介することにします。このコーナーでは第6回で紹介した『どんぐりと山猫』です。

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#6 『どんぐりと山猫』

 深い悲しみをまとった作品だけではなく、賢治はユーモラスで茶目っ気たっぷりな児童文学作品もたくさん世に残しています。『どんぐりと山猫』はその一つです。こういった楽しい作品では、まるでスキップでもするような、軽快でリズミカルなオノマトペがたくさん見られるように思います。

onomatopoeia lab

まはりの山は、みんなたったいまできたばかりのやうにうるうるもりあがつて、まつ青なそらのしたにならんでいました。



一本のぶなの木のしたに、たくさんの白いきのこが、どつてこどつてこどつてこと、変な楽隊をやつてゐました。



 「うるうる」というと、目から涙がこぼれる様子や、しっとりしたものを表す時に用いる言葉です。山が「うるうる」盛り上がる、という文脈に当てはめられて、このオノマトペがもっているみずみずしさが見事に生かされています。たった今できたばかりのような、という表現がさらにいいですね。自然の生命力を感じることが出来ます。

 この記事を書いている今、ちょうど町は春でいっぱいです。賢治のこの表現を知っているからでしょうか、町のいたるところに「うるうる」があるように思えます。こういったところからも、改めて賢治の「自然をつかまえる力」を感じるのです。

 2つ目に紹介するのは「どってこどってこどってこ」です。とても楽しくて踊るような表現ですね。この例のように、賢治の作品には「3回の繰り返し」がよく登場します。凡人の私だったら、「どってこどってこ」と2回の繰り返しにしているような気がします。日本語のオノマトペでは同じ音を2回繰り返すものが多いですし、おそらくそのほうが形としてはしっくりくるのでしょう。しかし、賢治は独特の「3段オノマトペ」を用いるのです。

 この効果は、声に出してみると分かりやすいと思います。私などは、黙読をしていても、3段オノマトペに出会うと思わず声を出してしまうのです。それくらい、作品に勢いをつける表現ということでしょう。3回の繰り返しのうちの3回目は、念を押すように、力強く読みたくはならないでしょうか?賢治が意識してやっていたかどうかは分かりませんが、こういうところでもそのセンスが光っています。

『やまなし』×オノマトペ



 最後は国語の教科書にも掲載されている『やまなし』です。悲しみ、面白味、との流れにのれば、この作品に出てくるのは「不思議なオノマトペ」とでも言えるでしょうか。

童話絵本 宮沢賢治 やまなし (創作児童読物)
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#1 『やまなし』

 前回紹介した「かぷかぷわらう」もそうですが、凡人の私たちには決して思いつけないような、奇想天外な創作オノマトペがたくさん登場します。あまりにイレギュラーなそれらに、最初は目を丸くしてしまうかもしれません。ですが、それらは決して遊びで適当に作られたわけではなく、その場その場にフィットした、絶妙な表現になっているのです。2つ紹介したいと思います。

onomatopoeia lab

三疋(ひき)はぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。



やまなしは横になって木の枝にひっかかってとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりました。



 小学校のテストで太字の部分が空欄になっていたとします。「ぼかぼか」や「もかもか」を記入しても、おそらく×になってしまうでしょう。そういう意味で小学生に「こんな表現もあるんだよ」とは教えにくいのですが、こういった変則的なオノマトペにこそ賢治の特筆すべき感性を見出すことが出来ます。

 上の文なら、普通は「ぷかぷか」流れて行く、となるでしょう。それなら○がもらえそうです。それを「ぼかぼか」と表現した賢治。やまなしの重量感、そして、そんなやまなしが鈍い動きで浮き沈みしながら流れて行く様子が見事に表現されています。テストの正解は別にして、文学としてどちらが優れた表現か、と問われれば私は迷わず「ぼかぼか」です。こんな風に、賢治の創作オノマトペは時に慣習的に存在するオノマトペを超えた見事な表現を見せます。

 虹が「もかもか」集まる、というのも何とも不思議な表現です。「もやもや」が変形したのでしょうか。様子を思い浮かべると、「ぼやぼや」あたりも近いかもしれません。賢治が選んだ表現はそのどちらでもない、「もかもか」でした。ここから先は想像力の領域です。それぞれの人が目の奥に異なる景色を浮かべることでしょう。私は、賢治の想像の世界に存在していた「もかもか」を思い浮かべるだけでわくわくします。

 「宮沢賢治のオノマトペ・ラボ」、いかがでしたでしょうか。オノマトペ、という新たな視点から賢治の作品を再構築できて、私自身とても楽しく、そしてたくさんの発見ができたシリーズでした。次回以降は通常のレビューに移ろうと思います。今回のシリーズで得た「オノマトペ」という視点も生かしながら、今度はどんな作品を紹介しようか、今から考えています。



イーハトーヴ

宮沢賢治のオノマトペ・ラボ (実験編)

 前回の記事もぜひ合わせてご覧ください。


宮沢賢治,



  •   02, 2016 23:57