HOME > 思想・哲学 > title - 思考のともしび - 『哲学しててもいいですか?』 三谷尚澄

思考のともしび - 『哲学しててもいいですか?』 三谷尚澄

 09, 2017 19:39
 今日紹介する本のテーマは、「文系学部不要論」です。これは、私がここ最近もっとも関心のあるトピックの一つです。なんたって、自分が学んでいることが社会から「いらない」と言われ、今立っている場所が足元から揺れているのですから。

哲学しててもいいですか?: 文系学部不要論へのささやかな反論
三谷 尚澄
ナカニシヤ出版
売り上げランキング: 247,144


 声を上げたのは、三谷尚澄さん。信州大学の人文学部に所属しておられる哲学の先生です。「文系学部不要論」と言いますが、ここで不要と言われるのは法学や経済ではなくもっぱら「人文学」です。そして、そんな人文学の中でも「哲学」というのは世間からもっとも理解されにくいような立ち位置にあると言えます(三谷先生、いきなりこんなことを言ってすみません、、、)

 人文学を学ぶものとして決して無視できないこの「不要論」。私は哲学専攻ではありませんが、かねてから読みたいと思っていた1冊でした。



内容紹介



死相哲学

文学、「冬の時代」に何を叫ぶ

 人文学が「冬の時代」にある-筆者は末尾でそう指摘します。大変厳しい指摘ですが、私も首を縦に振るしかありません。大学の「実学」重視傾向は年々強まり、「人文系の学問って結局何の役に立つんですか?」そんな質問が平気で浴びせられるようになりました。

 文部科学省が2015年に出した通達は、その流れを決定的にしました。

人文社会科学系学部・大学院については、十八歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう務めることとする。



 社会的要請が低いから廃止しろと「親玉」に言われてしまった人文学部。冬の時代にあることは間違いありません。「人間力」「社会の困難に立ち向かう人材」、そんなふやけた言説では、もう納得してもらえる時代ではなくなったのです。

 人文学部の社会的意義や役割を説明することが強く要請されています。大学で哲学を教える筆者が、それを説明するべく、ペンをとりました。

書評



書評

◆ 今こそ、思考するときだ

 本の内容に触れる前に、今私が考えていること、私自身の立ち位置について明らかにしておく必要があるでしょう。

 文系学部不要論は、凄まじい「逆風」として日々肌で感じています。「人文学って結局何の役に立つの?」何度も言われてきました。思わず食ってかかりたくなるような、もっと露骨な意見もあります。「税金の無駄なんじゃないの?」「私立で、好きな人がやってればいいんじゃない?」「社会に出たら、結局全然関係のない仕事するんでしょ?」・・・。

 私は、今自分が学んでいることにやりがいと誇りを持っているので、こういった意見には胸が痛みます。ですが、胸を痛めているだけではいけません。「やりがいがあるんです!」だけで終わっていてもいけません。財政状況も厳しくなる中、国立大学で人文学を学ぶ意味が問われるのは当然のことだと思います。人文学の社会的意義を示さなければいけない、そう強く思います。

 厳しい逆風は吹きますが、この逆風を食らうことにより、自分たちが学んでいることとはなんなのか、それを根本から考える契機にしたい、そう思います。社会的意義を自分たちで示すことでしか、冬の時代は乗り越えられません。

 人文学には、「思考」という武器があります。それを今こそ生かすべきではないかと思います。

a0002_001177.jpg

 「人文学って結局何の役に立つの?」こう言われるたびに、乱暴な問いだと思います。大学が「実学」重視になっています。生産性や、社会に出て役立つ「スキル」を身に付けることが求められるのです。

 大学が「就職予備校」になっている、といったような揶揄がよくされますが、もはや揶揄ではすまないかもしれません。就職予備校そのものになっているということです。上のような質問をする人も、役に立つ=スキルといった認識をしていることが多いように思います。そして、「結局」という言葉を使う。過程を省いて、分かりやすく、明快な「答え」を求めるのです。

 この、役に立つ云々の話について、筆者は実学重視の現在に触れた上でこう述べています。

「出口を明確にする」ということで、「大学において学んだ知識にどのような使い道があるのかを具体的に示す」ということが意味されているのであれば、これはもっともな評価であろうと思う。しかし、とここでもう一度繰り返そう。わたしたちが立ち止まって考えてみるべき最大の問題は、「大学での学びに期待される有用性を、すぐに使える道具の有用性と同一視」しようとする傾向のなかにこそ見出されるのではないか。



 大学で学んでいることの意義を、TOEICのスコアなどと同じ次元で論じられるととても腹立たしく思います。筆者の言葉を借りると、「すぐに使える道具の有用性」というものです。私もTOEICは勉強しましたが、正直三谷さんがおっしゃるように(就職のための)「道具」と捉えていた面が大きいです。人文学の意義を考えるとき、どう「役に立つ」かを考えるときは、全く別の次元で考えなければいけないでしょう。

 人文学の意義という時、真っ先に思い浮かぶことばは「教養」ではないでしょうか(読む前の私がまさにそうでした)。しかし、このことばだけでは正直「弱い」。「教養を身に付けることで人間的に豊かになれるのです」などと言っても誰も納得はしてくれないでしょうし、火に油を注ぐだけでしょう。

 筆者も、「教養」ということばを用いています。しかしそれは、曖昧な意味での教養ではなく、人文学を学ぶことの意義を明らかにするための、欠かせないキーワードとしての「教養」だったのです。

◆ 箱の外に出て思考する

 教養というと、どこか「知的遊戯」「金持ちの道楽」といったイメージがありませんか?文学とか、芸術とか、そういうのは生活に余裕のある裕福な人たちがたしなむもの。教養でご飯は食べられないし、生きていく上で教養なんていらない・・・こんな感じです。

 とんでもありません。筆者のいう「教養」とはこうです。

「自分たちが慣れ親しんだ目線から距離を取ること」を可能にする知の拠点を「教養」と呼ぶのでは、多様なものの見方に-つまり多様な世界のあり方に-自分を開いておくということから「教養」の習得は始まる。



 「教養」をこのように捉える見方が、社会にもっと広がってくれたら、と心から思います。いや、広げていかなければいけないのでしょう。

 人文学の武器は「思考」だと書きました。反対側を見てみましょう。「思考停止」は人文学がもっとも忌み嫌うものです。乏しい知識や怪しい情報しか持たず、恐ろしいくらい狭い世界の中で簡単に物事を断じてしまう。感情、つまり好き嫌いの次元で動いてしまう。それは、たぶん、もっとも人文学「らしくない」態度です。

 私たちが「尊大な中間優越主義」に陥っている。そして、考えることをやめていると筆者は指摘します。

「中」にこもり、「中」の掟にあわせて行動している限り、不測の事態に出会う確率はすくなくてすむし、そのあいだは「外側」から持ち込まれる不都合な出来事や負担に心を煩わされる必要もない。それはつまり、「考えているふりさえしておけば、実際には余計なことを考えなくてもすむ」ということだ。



 哲学を教える筆者は、「箱の外に出て思考する」という印象的なことばを用います。普通に暮らしている中では考えないような物事を考えてみる、ということです。そして、これこそが哲学を通して身に付くことでもありました。哲学が、いや、人文学が社会に還元していけることでもあるでしょう。

 「箱の外に出て思考する」ことが必要となるのは、当たり前に思われていた前提が崩れ、困難に直面した時だと述べます。そして、こう書きます。

そんな困難な状況を目の前にするとき、「日常の安全が当面は崩れないこと」を前提とした「リスクヘッジ」の思考だけでどこまでやっていけるだろうか。大切なのは、図太く太く生き抜く覚悟を決めたうえで、システムの不調やひょっとしたらやってくるかもしれない崩壊のときに対処できるだけの知恵と力を、いまのうちから準備しておくことなのではないか。



 私も、強く同意します。

 「思考停止」は、レールが続いているうちは何の問題もないでしょう。何も考えずそこに乗っているだけです。ですが、突然レールが途切れたら?あるいは、レールの続いた先が、「破滅」という名の崖であったとしたら、どうでしょうか。

 誰が「ブレーキ」を踏むのか。誰が「ハンドル」を回して進む方向を変えるのか。誰が「新たなレール」を作るのか。・・・ちょっと壮大な話かもしれませんが、人文学を学んだ人がその役割を担う-私はそう思いたいですし、そうあるべきだと思います。

 もし大学が「就職予備校」だったら、どこに何人合格したという「就職実績」を出して、それで誇らしげにしていればいいと思います。しかし、大学は就職予備校ではありませんし、就職はゴールではありません。就職した後、これまで学んだ時間よりもはるかに長い人生が待っています。その人生の中で、一度も「困難」に直面しないという人はいないでしょう。だとすれば、大学がするべきことは何か。

 決して「知的遊戯」などではありません。「明日を生き抜くための」、教養の話です。

まとめ

まとめ



 自分が当事者ということもあるのですが、私はこの本を読んで感銘を受けました。「人文学って結局何の役に立つの?」今度聞かれたら、今度は自分の言葉で、しっかり答えたいと思います。

 「困難」というと、曖昧な印象を持たれる方もいるかもしれません。ですが、そうではないのです。

 今は平和な日本で、初めてテロが起こるその日。
 人工知能の台頭により、働く人間が「もう明日から来なくていいよ」と言われたその日。
 人口減少により、ついに自治体が消滅したその日。

SF小説の設定だったらよかったのですが、残念ながら、どれも実現する可能性がかなり高い困難です。筆者も、こういった困難を念頭にあげています。

 思考をやめないことが大切だと思います。そして、人文学という「思考のともしび」が消えないように、立ち向かいたいと思います。




◆殿堂入り決定!

「最果ての図書館」は『哲学しててもいいですか?』を「シルバー」に認定しました。

スポンサーサイト

哲学, 三谷尚澄,



COMMENT 2

Mon
2017.10.09
20:51

ナカリママ #9SDnr4ro

URL

おかえりなさい!

濃い記事を続けて読ませていただきました(^-^)

最後のこの記事に強く同意します。
まさに息子が直面している課題で、弱小ながら西洋古典という文献学で社会に何らか貢献して生きていきたいと模索中の我が子を見て、人文学不要論に心痛めていました。
記事にしてくださって、ありがとうございます。
勇気づけられました。
これからも楽しみに伺いますね。

Edit | Reply | 
Mon
2017.10.09
21:08

ふみよむよだか #-

URL

Re: おかえりなさい!

>ナカリママさん

お久しぶりです。お変わりないようで何よりです。

自分が学んでいることが社会から認められないって辛いですよね。記事にも書いたんですが、最近人文学はあちこちからひどいように言われていて、私は悔しい思いをしていました。私はこの本から勇気をもらいましたし、ナカリママさんにも届いたのなら幸いです。

辛い時代ではありますが、学問に社会貢献が求められるのは当然だなとも思います。どういう風に貢献できるか、しっかりと自分の言葉で伝えられるようにしたいですね。

温かい言葉ありがとうございます。就職するまではブログを続けられると思うので、またぜひお越しください。

Edit | Reply |