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  • 芥川賞受賞作「九年前の祈り」を読む #3 -『九年前の祈り』 小野正嗣

     19, 2015 18:10

     5回シリーズでお送りしてきた「冬のスペシャルレビュー」も今回で最終回です。芥川賞受賞作「九年前の祈り」のレビューのまとめに入りたいと思います。この企画は、話題の作品を読んでみる、という目的もあったのですが、久しぶりに本をじっくり読みたい、という目的もありました。いつもは通り過ぎてしまうような細かい描写まで目を向けることができ、新たな気付きの連続でした。たまにはこんなスローリーディングもいいかもしれませんね。では、「九年前の祈り」のレビューに入りたいと思います。

    九年前の祈り
    九年前の祈り
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    小野 正嗣
    講談社
    売り上げランキング: 34,751



    前回のおさらい 第2回 故郷という場所

     自分の故郷を一貫して書き続けておられる作者の小野正嗣さん。閉鎖的、排他的、そして常識知らず。そんな「地方の腐臭」を匂わせながら展開していく物語を追いました。小野さん自身、故郷がよそから来た人にとっては異質な環境だと認めながらも、それでも自身にとっては「独特の場所」と語ります。小野さんにペンを取らせるものとはいったい何なのでしょうか・・・?



    第3回 重なり合う祈り

     主人公のさなえが9年前のカナダ旅行で一緒になった渡辺ミツのことを思い出したことは第1回で話しました。渡辺ミツもまた、さなえと同じように息子に対して不安を抱いていたのです。

     渡辺ミツとはどのような人だったのか。さなえには強く印象に残るエピソードがありました。カナダ旅行で、一緒にレストランで食事をした時のことです。ミツが息子の将来についての不安を語ります。

     -お父さんが一緒についておらんかったら、あの子はどうなるんじゃろうか・・・・・・。わたしらが死んだあともあの子がひとりで生きていけるんじゃろうか・・・・・・

     このあとのことです。さなえは「あるもの」の存在に気付きます。

    さなえは気づいた。しかしその存在に気づいても驚きはしなかった。窓を背にしたみっちゃん姉のすぐ後ろに悲しみが立っていた。(中略)悲しみはいま薄暗がりのなかで初めてその姿を現わし、みっちゃん姉の肩を優しくさすっていた。



     最初はもったいないなぁ、と思いました。「悲しみ」、という言葉を使っているのです。文学とは、悲しみを、悲しみということばを使わずにいかに表現するかという点にその命があるといっても過言ではありません。悲しみ、という言葉を使ったらそこで完結してしまう。みっちゃん姉の感情を、悲しみという言葉には収めてほしくないような気がして、ここは少し残念に思いました。ここまで読んだ時点では。

     最後、物語は「九年前の祈り」へと結実します。九年前、旅行先でみっちゃんがしていた祈りです。そして、さなえが見たという「立っていた悲しみ」が、最後はさなえ自身に訪れます。この部分を読めば、「悲しみ・・・」の比喩の印象も変わってきます。そして、さなえに祈りと悲しみを思い起こさせるのが、第2回で指摘した「土地の力」なのです。土地の力→祈り→悲しみ。壮大なラストには作者の持つ力を感じました。




     ミツは旅行の時、長い長い祈りを捧げています。彼女が何を思っていたのかは明らかにされません。

    好奇心を抑えきれずにさなえは訊いた。
    「何を祈っておったん?」
    みっちゃん姉はさなえを見つめた。少し考えてから何かを言おうとした、しかし言葉の代わりに、口元には照れたような、でもどこか嬉しそうでも悲しそうでもあるほほえみが浮かんだだけだった。



     長い長い祈り。読者は想像するしかありません。ここで先程の「悲しみが・・・」という比喩が生きてきます。ミツの後ろに見えた「悲しみ」のことを思い出しながら、彼女の祈りに思いを馳せます。先ほどは、悲しみという言葉がそのまま使われているという指摘をしました。しかし、この祈りの場面で、「悲しみ」はもっと深く、捉えきれないものに昇華しています。

     ミツの祈りを思い出しながら、さなえは何かを悟ったようです。息子の両手に自分の両手を重ね、息子の頭に自分の髪を押しつけます。ここでも「悲しみ」を使った比喩が使われ、物語は幕を下ろします。物語の一番大事な部分でしょうから、引用はしないでおきます。物語全体を包み込む、大変印象的なラストでした。

     この最後の場面、「悲しみ」を掘り起こす仕掛けになっているのは、「土地の力」、小川洋子さんの言葉を借りれば、「世界の片隅に潜む土地の力」です。この力については前回も触れました。土地という空間の持つ力が最後に主人公に結実する、という壮大な終わり方です。作家の宮本輝さんも、選評でこの点を指摘します。

    ふるさとの持つ力、そのふるさとの人々の包容力が、主人公の置かれた厳しい境遇に一種楽観的な光明を与える結末は、小野氏の真の持ち味がやっと具象化されてきた証だと思う。 (選評 / 宮本輝さん)



     小野さんの作品を読んだのは初めてでした。小野さんは一貫して故郷を舞台に作品を書き続けてこられたそうです。初めて読んだ私でさえも、その力の片鱗に触れ、こうして心を動かされているわけです。ずっと彼の作品を読み続けてこられた人にとっては、力が結実する本作の持つ重みには計り知れないものがあったことと思います。芥川賞受賞を心から祝福するとともに、今後はぜひ、他の作品も読んでみたいと思います。

     以上、「九年前の祈り」のレビューでした。3回にわたって書いてきました。全て読んでくれた皆さん、ありがとうございます。文学についてはちょっとかじったくらいの大学生のレビューです。読みにはいろいろと未熟な点があるかとも思いますが、久しぶりに作品をじっくりと読んで、濃密な時間を過ごせました。自分が書いた文を、またいつか読み返してみたいと思います。

     熟読、味読が続いて疲れました。次回からは通常営業、また軽めのコーナーもやりたいと思います。以上、冬のスペシャルレビューのコーナーでした。



    こちらもどうぞ
    第1回 「引きちぎられたミミズ」
    第2回 「故郷という空間」
    第3回 「重なり合う祈り」(今回です)
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    現代日本文学, 小野正嗣,



    •   19, 2015 18:10
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