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  • 杉下右京×ラスコーリニコフ 『罪と罰』の対決  第一幕

     02, 2015 17:58
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     「なぜ人を殺してはいけないのだろうか?」

     テレビ朝日系列で放送されている、人気刑事ドラマ「相棒」。先月11日と18日に放送された第15・16話「鮎川教授最後の授業」でこんな問いが出てきました。捕らわれの身となった主人公の杉下右京警部が、暴走する恩師の鮎川教授を止めるべく、上の問いへの回答に挑みました。

     改めて問われてみると、答えに詰まってしまいます。人を殺してはいけない理由・・・この問いは、放送中、放送後にいろいろなところで論争を巻き起こしていました。最終回に向けて盛り上がるストーリーも重要でしたが、こちらの問いの方も大きな波紋を呼んだようです。

     改めてこの問いを考えてみよう、というのが今日から始まるこのスペシャルです。本の紹介をする場所ですから、相棒のストーリーに本の紹介を絡めていきたいと思います。

     紹介するのはこちらの本。
    罪と罰〈上〉 (岩波文庫)罪と罰〈上〉 (岩波文庫)
    (1999/11/16)
    ドストエフスキー

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     言わずと知れたドストエフスキーの名作、「罪と罰」です。主人公のラスコーリニコフが、独自の論理を掲げて殺人を正当化し、そして実行してしまうという話です。なぜ人を殺してはいけないのか、という問いはここにも絡んでくるものです。彼をただ「いかれた奴」と決めつけるのではなく、その論理も改めて見ていきたいと思います。それでは、第一幕の始まりです。



    第一幕 杉下右京とラスコーリニコフ
     
     杉下右京警部はドラマ『相棒』の主人公です。恐ろしいほど頭の切れるエリートで、出世コースを順調に歩んでいましたが、ある事件をきっかけに、警視庁の窓際部署、「特命係」に左遷されてしまいました。特命係に捜査権はありませんが、同じように特命係に追いやられてきた「相棒」と共に事件の捜査に当たります。

     「鮎川教授の最後の授業」は、先月11日と18日に放送された前後編です。恩師の鮎川教授の古希を祝う会合に出席した右京でしたが、そこで教授が暴走を始めてしまいます。冒頭で書いたように、右京たちを監禁し、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いを突き付けたのです。捕らわれの空間で、右京たちの命を懸けた頭脳戦が展開されていきます・・・。

    「相棒」公式 ストーリー「鮎川教授最後の授業」

     右京さんの特徴として、「万人に、法の下での平等な罰を追及する」点があります。法を破り、「罪」を犯した者は法によって「罰」を受けなければいけない、という確固たる信念を持っています。相手が誰であろうと、どんな事情があろうと、その正義は揺れ動くことがありません。それ故に、相棒や警察内部の人間とも対立してしまうことがあります。「杉下の正義は暴走する」という名言があるくらいです。

     私が相棒で一番好きな話は、「暴発」(season9 第6話)です。これはまさに「杉下の正義が暴走する」話で、「右京さん、そこまでやるの」と思ってしまうくらい、徹底的に右京さんが「罪と罰」を追求する話でした。この時相棒をしていた神戸尊は、そんな右京さんの暴走を止めるべく、「ある手」に出ます。相棒二人の論理の対立が描かれ、一瞬たりとも気が抜けない傑作だと思っています。

    相棒 「暴発」

     話がそれましたが、そんな右京さんの徹底した姿勢が、「鮎川教授の最後の授業」にも出てきました。人は自分の犯した罪と向き合わなければいけない、そうでなければ償ったことにはならない、という確固たる信念をもった右京さんが、ある人物に厳しく詰め寄ります。これも「右京さん、そこまでやるの」、でした。右京さんはぶれないのですが、たまについていけなくなる時があります。

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     右京さんの紹介はこれぐらいにしておいて、次は「罪と罰」です。

     主人公のラスコーリニコフは頭脳明晰ながら貧乏な大学生です。彼は、独自の論理を組み立て、論文にして発表していました。その論理の下で、彼は殺人を実行してします。金貸しの老婆を殺すのです。しかし、その時に計画になかったことが起こってしまいました。殺人現場に来てしまった老婆の義妹まで殺してしまうのです。予定外の出来事に、彼の罪の意識が増幅していきました。自らの罪に苦悩を重ねた末に・・・というお話。

     ラスコーリニコフの論理はこういったものです。 (岩波文庫版、江川卓さん訳より引用)

    非凡人は、非凡人であるがゆえに、あらゆる犯罪を行ない、かってに法を超える権利を持っている


    いくらかでも軌道を外れた人間、つまり、いくらかでも新しい言葉を言える人間は、その本質上、必ず犯罪者にならざるをえないということなのです


    人間は材料になる人間と特別の人間とに分類されるんです。つまり、高い位置を占めていて、法の束縛を受けないどころか、反対に、他の人びと、つまり材料であり、くずである人たちのために法を制定する人間ですね



    ラスコーリニコフの考えを簡単に整理したいと思います。

    世の中には、凡人と非凡人がいる

    非凡人(特別の人間)は凡人のために法を制定する。
    また、非凡人は法を踏み越える権利を持っている。なぜなら、「未来の支配者」だから。

    自分は非凡人である

    だから自分は法を踏み越えても良い

    だから自分は人を殺す、殺してもよい。
    金貸しの老婆を殺して、富を再分配する。

     何を言っているんだこいつは、と憤慨される方も多いと思います。特に「自分は非凡人である」のところですね。「ラスコーリニコフ症候群」などという言葉があるくらいで、精神がいかれた奴、もっと言えば「中二病患者」と嘲笑されることも多いようです。実際、彼は自分で打ち立てたこの論理を支えきれませんでした。

     自分は非凡人だから法を踏み越えてよい、という彼の発想は右京さんの掲げる正義と全く相いれないものであることが分かります。この2人の「対決」を通して、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いを考えてみたいと思います。続きは第二幕でどうぞ・・・。

    「罪と罰」 wikipedia
    ※「罪と罰」のあらすじはwikipediaに詳しくのっています。ただし、壮大にネタバレをしているので、もし結末を知らない状態で読みたいという方がおられたらご注意ください。



    こちらもどうぞ

    スペシャル「杉下右京×ラスコーリニコフ 『罪と罰』の対決」

    第一幕「杉下右京とラスコーリニコフ」(今回です)

    第二幕 「贖罪」

    第三幕 「人として」

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    •   02, 2015 17:58
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