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  • 教科書への旅 #2 「ごんぎつね」 新美南吉

     22, 2015 18:49

     「教科書への旅」のコーナーです。前回は比較的新しい作品、重松清さんの「カレーライス」を取り上げました。それとは対照的に、今日ご紹介するのは1932年(今から83年前)に出版され、今も多くの人に愛されているこの児童文学です。


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     新美南吉の代表作、「ごんぎつね」(小学4年生)です。悲しい余韻を残したラストが記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。今日はこの作品を見ていきたいと思います。



    あらすじ



     山の中に、「ごん」というきつねが住んでいました。ごんはいたずらが大好きで、いろいろな場所でいたずらをしています。ある日、ごんは川で魚をとっている兵十(ひょうじゅう)を見つけました。いたずら心がくすぐられたごんは、兵十のびくの中にいたうなぎを口にくわえました。「うわあ、ぬすっとぎつねめ」兵十に見つかったごんは、びっくりして逃げ帰ってしまします。

     10日ほどたって、ごんはお葬式の列を目撃します。亡くなったのは兵十の母親でした。兵十は、母親に「死ぬ前にうなぎが食べたい」と言われうなぎをとりにきていたのでした。自分のいたずらのせいで、兵十の母親はうなぎを食べることなく死んでしまった。そして、兵十は1人になってしまった。罪悪感に苛まれたごんは、兵十につぐないをしようと思うのですが・・・。

    (訂正 9月25日追加)

    誤 兵十は、母親に「死ぬ前にうなぎが食べたい」と言われうなぎをとりにきていたのでした。
    正 兵十は、母親に「死ぬ前にうなぎが食べたい」と言われうなぎをとりにきていた、とごんは思ったのでした。


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    の作品の思い出

     教科書で読んだ作品の中では、おそらく最も悲しく、やりきれないラスト。一生懸命つぐないをしようとしたごんでしたが、兵十はそれに気づきませんでした。「いたずらぎつねがまたやってきた」そう思った兵十は、ごんを火縄銃で撃ち殺してしまいます。銃の青い煙が上がるラストに教室は葬式のような雰囲気になっていた気がします・・・。

    この作品のポイント



     教科書にはこんなことが書いてありました。

    物語を読むとき、わたしたちは、登場人物のだれかと自分を重ね合わせたり、書いてあることを、自分の知っていることや経験と結び付けたりしながら読んでいます。だから、読み手が一人一人ちがうように、感じ方も十人十色なのです。



     あたりさわりのないことが書かれていますが、これを読んだとき、私は少し考え込んでしまいました。というのも、ネットでは「ごんぎつね」に関してあることが話題になっているからです。

     それは、「ごんが死んだのは悪いことをしたからであり、自業自得だ」というある子供の感想に端を発しています。子供がこんな感想を口にした時、私たちはなんと答えてあげればいいのでしょうか。感じ方は十人十色、といいいつつも、それで済ましてはいけないような気もするのです・・・。

    再読!「ごんぎつね」



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     最後の場面、本当に悲しいんです・・・。兵十と兵十の母に悪いことをした、と自分のいたずらを悔やみ、罪滅ぼしに兵十の家にお供え物を届けにいくごん。しかし、またいたずらぎつねがやってきたと思った兵十は、火縄銃でごんを撃ち殺します。

     この話に悪者はいません。ごんにしてみれば、いつものようにちょっとしたいたずら心でうなぎを盗んだだけでした。兵十の母が病床でうなぎを求めていたことなど知る由もありません。それでも、自分の行いを悔いるごん。精一杯の償いの気持ちは兵十に届くことはありませんでした。

     兵十にしてもそうです。病床の母に届けようとしていたうなぎを盗まれたのですから、ごんに怒りをぶつけるのは当然だと思います。兵十もまた、ごんが自分につぐないをしようとしていることなど知る由もありません。もう一度ごんが家にやってくれば、またいたずらをしにきたのだと思うはずです。

     お互いの気持ちがすれちがって、最悪の結末を生んでしまったことが分かります。この話を読んで「いたずらをしたごんが悪い」と言う子供がいたとのことですが、それはどうなのでしょう・・・。子供の考えを尊重する、というのも一つの考えですが、私は「それは違う」と子供に諭さなければいけない、と思っています。なぜなら、ごんと兵十、それぞれの後悔を読み取れていないからです。この後悔こそ、この話の伝えるべきところだと思っています。

    「兵十のおっかあは、とこについていて、うなぎが食べたいといったにちがいない。それで、兵十が、はりきりあみを持ち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎを取ってきてしまった。だから、兵十はおっかあにうなぎを食べさせることができなかった。そのまま、おっかあは、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいと思いながら死んだんだろう。ちょっ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」


     ごんが後悔をする場面です。悔やんでも悔やみきれない、そんな気持ちが伝わってきます。なんて偉いんだろう、と思いました。悪いことは、それ自体が悪いのではありません。悪いことを、悪いことと思わないことが悪いのではないでしょうか。「悪いことをしたらごめんなさい」、そんな当たり前のことだけど、なかなか難しい。ちゃんと後悔できているごんを見習いたくなります。

     でも、そんな思いが伝わらなかった、というのが辛いところです。ごんを撃ち殺したあと、ごんの行いに気付いた兵十もまた、後悔します。

    「ごん、おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは。」ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細くでていました。


     ある意味、最大の被害者は兵十かもしれません。大好きなおかあさんを失った上に、自分のもとにつぐないにきたきつねを撃ち殺してしまいました。きつねの思いに気付いた時にはもう手遅れと言う残酷さです。

     精一杯謝罪しても、それが伝わらない、そこにやりきれなさがあります。一生懸命「ごめんなさい」を示そうとしたごんが撃ち殺されてしまうという結末を、小学4年生の子供たちは見せられます。

     人は簡単に心を通い合わせることができない、ということをしっかり読み取れたらな、と思います。心をこめて謝罪しても、こんな結末になることもあります。世の中には形だけの「ごめんなさい」が溢れていますが、それに何の意味があるでしょうか・・・。言わない方がまし、とはいいませんが、人と真摯に向き合おうとする姿勢が大事なのだと思います。

     いま読み返してもやりきれないですね。この本を読む子供たちが、多くの感情を掘り起こしてくれることを願います。



    こちらもどうぞ

    「ごんぎつね」のごんは自業自得!? 勉強よりも大切な「感情教育」のポイント
     参考にした記事です。子どもに感想を丸投げするだけではだめなのですね・・・。

     ごんぎつねは青空文庫で読むことができます。10分以内に読めると思うので、気になる方はぜひ読んでみてください。
    「ごんぎつね」 (えあ草紙)

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    新美南吉, 教科書,



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