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教科書への旅 #3 「やまなし」 宮沢賢治 (後編)

 30, 2015 18:40
教科書

 前回に続き、この作品を見ていこうと思います。

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 宮沢賢治「やまなし」(小学6年生)です。 前回の記事では、5月と12月の描かれ方を比較しながら、どうして宮沢賢治がこの2つの月を選んだのか、ということを考えていました。今回は後編です。この作品で最も印象深い謎の存在、「クラムボン」に迫ります。




 まずは「クラムボン」とは何なのか、説明したいと思います。2匹のかにの子どもが、川の底で「クラムボン」とやらについて語り合っています。「クラムボン」に関する描写を抜き出してみました。

「クラムボンは笑ったよ」
「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」
「クラムボンははねて笑ったよ」

「クラムボンは死んだよ」
「クラムボンは殺されたよ」



 かぷかぷ笑って、はねて笑って、殺されてしまう・・・?これを抜き出しただけではさっぱり分かりませんね。前後の描写も加えてみたいと思います。

 笑った かぷかぷ笑った はねて笑った → あわがつぶつぶ流れる → 笑った かぷかぷ笑った → あわがつぶつぶ流れる → 魚が頭の上を過ぎる → 死んだ 殺された → 魚が下に戻ってくる → 笑った → 日光が差し込む

 小学生の時はクラムボンが何を指しているのかさっぱり分かりませんでした。ですが、今こうして整理してみると、クラムボンの正体はだいぶ絞られてくるということが分かります。登場しているのは「あわ」「魚」そして「光(日光)」の3つです。クラムボンの正体は、この3つのうちのどれか、と推測できます。

 その中で、私がクラムボンではないか、と思ったのは「あわ」です。あわが「笑う」という表現に戸惑いますが、あわの「ブクブク」という音を「笑う」と形容するのはそんなに不自然ではありません。「かぷかぷ」も、あわのイメージによく合った擬音語です。

 あとは「死んだ」と「殺された」ですね。ここで注目したいのは魚の動きとクラムボンです。魚が頭の上を通り過ぎた時にクラムボンが死んで、魚が下に戻ってきたらクラムボンは笑った、という流れになっていることが分かります。これも、クラムボンをあわと考えると上手くいきそうです。魚が通り過ぎた時、浮かんでいたあわを突っ切っていってしまった(あわが「死んだ」)、そして、魚が下に戻ってきたとき、水面が揺れて再びあわが立った(あわが「笑った」)、という訳です。

 これが私が考えた「クラムボン=あわ」説です。自分で言うのもなんですが、結構筋が通っているように見えます。クラムボンはあわで決定、と結論を出しかけました。しかし、大事なのはここからでした。ちょっと参考にしようとネットを調べたところ、驚きの事実が判明しました。クラムボンの正体は、そんなに単純ではなかったのです。

 クラムボンの正体はあわでしょうと思って調べたところ、ネットには(私にとって)厳しい言葉が並んでいました。(この考察に挑んだサイトはたくさんありました)

泡や光といわれて納得してしまうのは、すでにそれが泡や光だと決めつけてしまっているからではないのか。(中略)他の一切の記述を捨象して、単にここに「笑う」「跳ねる」「死ぬ」「殺される」というこれらの要件を満たしうる存在は何であるか、と問われた場合に、「光です」「泡です」などと答える者がいるとしたら、そいつはバカだ。「アホか」「頭おかしいんじゃないの」と知能を疑われて当然である。そんなくだらない意見まかり通ってしまう国語の授業に、いったい何の意味があろうというのだ。

出典は こちら

泡が笑いますか?泡が死にますか?殺されますか?冷静に考えましょう、まずありえません。(中略)泡、光、魚の3つだけはどんなに頑張っても説明がつかない。よってこれらは結局は机上の空論に過ぎないのである。

出典はこちら

 き、厳しい・・・。ぼろくそに言われました。「あわか魚か光」と言っていた自分が恥ずかしくなります。私の推測はメルヘンチックな机上の空論なのでしょうか・・・。

 いったん私のメルヘンチックな仮説は置いておくことにします。もっと明快で、説得力のある仮説が存在しているようです。それは、「クラムボン=コロボックル」説です。コロボックル、というのは、アイヌ地方に伝わる伝説の小人のことです。

 宮沢賢治はアイヌ文化に大変関心が高く、この「クラムボン」という言葉の由来はアイヌ語にあるのではないか、という説がかなり有力に思えました。

クラムボンをアイヌ語に分解すると、kur・人、男 ram・低い pon(bon)・子どもとなる 。多くのアイヌ語辞典などの表記においては、ほとんどbの音は使われていない。だが、なまりによって変化することもあり、pとbを混同して表記されることは当時ではよくあった 。「やまなし」の初めての連載においても、「クラムポン」と「クラムボン」の記述は一定していなかったという 。
 クラムボンは、単語の意味をあわせると、アイヌ各地に分布する伝説の小人・コロボックルだと考えられる。       

出典はこちら

 アイヌ語にすると、しっかり意味が通るのですね。ちなみに、この作品には「イサド」という架空の町の名前も登場するのですが、この「イサド」もアイヌ語に訳すと「例の乾いた沼」となり、意味が通るそうです。「クラムボン」や「イサド」は、宮沢賢治が頭の中で練り上げた造語ではなく、アイヌ語をベースにしている、というのはおそらく間違いなさそうです。

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 以上、今日は「クラムボン」について考えてみました。クラムボンがコロボックルというのが最有力の仮説ですね。ですが、実際「クラムボンはコロボックル」と言われたところで全くすっきりはしませんでした。その理由は簡単、「コロボックルの正体が分からない」からです。

 このコロボックルの正体についても、いろいろと説があるようです。「蕗の葉の下の人」という意味があるそうですね。画像検索をかけると、かわいらしいキャラクターがたくさん出てきました。

 もしクラムボンがコロボックルだとすると、コロボックルが「死んだ」「殺された」ということになるのでしょうか・・・。そうなると「やまなし」のイメージがまるっきり変わってしまいます。

 前回の記事で、「やまなし」を理解するには宮沢賢治のことを知らないといけない、と書きましたが、本当にそうみたいです。少しでもクラムボンの正体に近づこうと思ったのですが、かえってややこしくなってしまいました。

 「やまなし」についてはこれにて終了します。ですが、宮沢賢治のことを知る必要があると判明したので、次回の記事ではある資料をもとに宮沢賢治の生涯を簡単に振り返ってみたいと思います。宮沢賢治が作品に込めた思いなどを、分かりやすく説明している資料です。こちらもどうぞお楽しみに。

 個人的には、「クラムボン=あわ」説を気に入っていたのですが、やはりこれは的外れなのでしょうか・・・。未練が拭えません。学校によってクラムボンの正体は違う教え方をされているそうですから、個人の想像もきっと許されるはず!と自分を慰めています・・・。
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