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  • 又吉直樹さん「火花」を読む #1 「平凡と非凡」

     03, 2015 23:30

    (7月16日追記) 又吉直樹さんの「火花」が芥川賞を受賞しました。又吉さん、おめでとうございます。こちらは4月にアップした「火花」のレビューです。

    火花 (文春文庫)
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    又吉 直樹
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     又吉直樹さんの「火花」を読みました。

     随分あっさりとした一文で始めました。いつもの私だったら、「お笑いコンビ、『ピース』の」とか、「今大きく話題になっている」とか、「35万部以上売れた」とか、そんな言葉を頭につけて始めていたと思います。

     この作品にそんな言葉を付けるのは失礼なことだと思います。又吉さんという一人の人間が、「人間」という存在を見つめなおし、問い直した作品。作品との交わりを持たない枕詞は、このさい全て外してしまおうと思ったのです。

     今日から3回シリーズでこの作品を見ていきます。この作品は、2人の人物を通して2つのことが対比されている作品のように思います。ですから、タイトルは「○○と○○」という対比の形にし、2つの対比に注目して読んでいく形をとりました。第1回目のテーマは「平凡と非凡」です。



    #1 平凡と非凡

     主人公は、お笑い芸人「スパークス」の徳永。彼は、熱海の花火大会である人物と出会います。それは、4歳年上の先輩であり、「あほんだら」として活動している芸人、神谷さんでした。

     花火大会の中で異彩を放っていた先輩芸人の姿に、徳永は心を掴まれます。気付けば、彼は神谷さんに弟子入りを申し込んでいました。花火が華やかに舞う夜空の中で無意味に漫才を続けていた徳永。燻りつづけていた彼の心に、小さな火花が宿りました―。

     それから2人が過ごす日々の中で、多くのことが対比されています。なかでも最も印象的だったのが、今回取り上げる「平凡と非凡」でした。

    「せやな。だから唯一の方法は阿呆になってな、感覚に面白いかどうかで判断したらいいねん。他の奴の意見に左右されずに」


     神谷さんのセリフを引用しました。彼のことを端的に表わした部分かと思います。一言でいうなら、「天才肌」。持って生まれてきたものがあり、その持って生まれてきたものを一切汚すことなく、純粋に生き続けている奇跡のような存在です。

     阿呆になって、感覚だけで生きる

     その難しさは、語るまでもないと思います。多くの「普通」の人はそれができません。感覚だけで生きる、そんな赤信号も突っ切っていくような生き方は世間では通用しません。赤信号を無視して飛び出していったところで、「世間」という車に轢かれて死んでしまうでしょう。

     徳永もまた、普通の人でした。どこまでも平凡な人でした。

    僕は神谷さんとは違うのだ。僕は徹底的には異端にはなりきれない。その反対に器用にも立ち回れない。その不器用さを誇ることもできない。



     神谷さんのように特別な人物が描かれるから強調されてしまうだけで、徳永という主人公はどこにでもいるような普通の人です。多くの人は、彼に肩入れしながらこの本を読めると思います。
     
     ただ、彼にとって特別なのは、隣に神谷さんという「非凡」な存在がいたこと。そして、「才能」が求められる、お笑いと言う世界に身を置いていたことでした。その2つの事実が、この物語を残酷にします。

     非凡を見せつけられることにより、自分の平凡さを痛感する 

     この残酷さが描かれています。これは、誰しも経験があることだと思います。

     学校に通っていた時、クラスに一人はいた「天才」キャラ。
     自分がどれだけ努力を重ねても、それを嘲笑うように、自分のはるか上を超えていく人。
     自分には思いつくこともできなかった天才の発想。天才の行動、言動。

     「天才」の方に身を置いている一部の人は除いて、世の中の99.9%の人は一度は経験したことがあるのではないでしょうか。自分の平凡さを痛感させられ、打ちのめされる経験です。

     私などは、本を読んでいてもこういった思いに支配されることがあります。「どうしてこんな美しい表現が思いつくのだろう」「どうしてこんな天才的なリズムが生み出せるのだろう」「どうして、どうして・・・」その果てに、実感するのです。「自分はなんて平凡なんだろう」、と。

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     努力では永遠に追いつけないものがあります。「天才」と呼ばれるほんの一握りの人たちが「花火」のような巨大な大輪を咲かせる中で、その他大勢の人は、花火にはなれることなく、「火花」を燻らせます。

     普通で、平凡な徳永。そんな彼は、才能を求められる漫才の世界で生きています。私もそうなのですが、平凡な人が他人を笑わせようと考えるなら、「笑わせる」ためにどうしようか、と考えると思います。芸人さんでいえば、ネタづくりです。でも、天才の中に、人を「笑わせる」という考えなど、全くありません。

    「漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すもんやねん。つまりは賢い、にはできひんくて、本物の阿呆と自分は真っ当であると信じている阿呆によってのみ実現できるもんやねん



     またまた神谷さんの言葉です。阿呆にはなれない凡人にとって、このことは理解はできても永遠に実践できることではありません。先程、赤信号の例えを出しました。それになぞらえれば、赤信号が何を意味するかも分からない人間と、赤信号を渡ることは正しいと信じている人間だけしか、ここにはたどり着けないのです。

     世の中にはたくさんのお笑い芸人がいます。テレビなどでたまにお見かけしますが、私はそれを見るたび、「天才と凡人が混ざっているな」と感じます。

     特に工夫をしなくても、もはや「存在自体が笑い」のようになっている芸人さんがいれば、必死にネタを考え、飽きられないように、忘れられないように、必死に声を張り上げている芸人さんもいます。常にトップに居続ける芸人さんがいれば、一時期の「流行」にのっかって、一時期だけ「時の人」になれる芸人さんもいます。そして、一時期の「流行」にすら乗れず、一生日の目を見ることのない芸人さんも。

     お笑い芸人だけではないと思います。「才能」が求められる世界全てです。成功できるものと、できないもの。その境目にある「線」が見えてくるのは、この上なく残酷です。

     そんな「線」が見えてくるお話でした。線が見えてしまったとき、凡人はどうすればよいのでしょうか。主人公の苦悩の続きは、次回以降にて。



    又吉直樹さん「火花」を読む

    第1回 「平凡と非凡」 今回です
    第2回 「世間と孤独」
    第3回 「自分と他人」

     
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    現代日本文学, 又吉直樹,



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