HOME > ブックレビュープレミアム > title - 又吉直樹さん「火花」を読む #2 「世間と孤独」

又吉直樹さん「火花」を読む #2 「世間と孤独」

 04, 2015 22:29

 桜が満開です。ここ数日、雨やら風やらでどうなることかと思いましたが、週末に無事見ごろを迎えました。そんな桜を見上げながら、今日は大学のキャンパスで読書をしました。至福のひとときです。桜の下で読んだ本の紹介は、また後日にしたいと思います。

 さて、又吉直樹さんの火花を読んでいました。今回は第2回目です。

火花 (文春文庫)
火花 (文春文庫)
posted with amazlet at 17.02.11
又吉 直樹
文藝春秋 (2017-02-10)
売り上げランキング: 24



 前回のおさらい #1 「平凡と非凡」

 この作品は、2人のお笑い芸人の姿を通して、人間の対照的な姿が映し出されます。1回目では「平凡と非凡」に注目しました。主人公の徳永はいたって平凡な人間。それに対し、先輩の神谷さんは天性の才能を備え持った非凡な人物です。努力だけではどうにはならない才能の壁。そして、非凡を通して自分の平凡さを見せつけられるという残酷な仕打ち。凡人が通る痛い道を描きます。さて、打ちのめされた徳永はどうなるのでしょうか・・・?



#2 世間と孤独

 神谷さんは天から与えられた素晴らしい才能の持ち主でしたが、だからといって世間で成功を収めているわけではありません。天才であるが故に、世間と交われない、そんな様子が描かれます。

 天才とは孤独、ということでしょうか。世間の99.9%は凡人が占めています。それゆえ、天才は周囲と上手く交わることができず、その能力を正当に評価されないという面もあると思います。特に、「感覚だけで生きる」という神谷さんのような人間は、特に世間と相容れるのが難しいように思います。

 平凡に生きる徳永は、そんな神谷さんを、半ば羨ましく、そして半ば恨めしく思います。

神谷さんが相手にしているのは世間ではない。いつか世界を振り向かせるかもしれない何かだ。その世界は孤独かもしれないけど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。



 神谷さんは周囲から理解されることなく孤独に生きていますが、それが寂しいことというわけではないのです。私は凡人側の人間なのでこれは想像するしかありませんが、少なくとも天才の人は「分かってもらえなくて寂しい」とは思ってはいない気がします。凡人とは違う世界で、全く違うものを見ているのではないでしょうか。

 そんな天才の孤独と比較されているのが「世間」です。

本当の地獄というのは、孤独の中ではなく、世間の中にこそある。神谷さんは、それを知らないのだ。僕の眼に世間が映る限り、そこから逃げるわけにはいかない。自分の理想を崩さず、世間の観念とも闘う。

 

 これは、私にもよく分かります。人間は好き勝手に生きることはできません。そこに常に付きまとうのは「世間」という束縛。おかしいと思うことに目をつぶりながら、見て見ぬふりをしながら。嫌われないようにしながら。どんなにそれが嫌だと思っても、個人が世間から逃れることはできません。世間を無視できるのは、それこそ「天才」だけ・・・。そのやるせなさがよく表現された部分でした。

 99.9%の凡人は世間の中で、0.1%の天才は孤独の中で生きます。前回も書いたように、この作品の残酷なところは、凡人の前に天才が現れたところ、凡人が天才に気付いてしまったところです。

 神谷さんは最後まで天才のまま生きます。彼は作品の最後、驚きの行動に出ました。天才にしか思いつけない行動。しかし、世間には決して受け入れられない行動です。世間と孤独の板挟みにあったとき、徳永の抑えていた思いが溢れだします。

「神谷さんに悪気がないのはわかってます。でも僕達は世間を完全に無視することはできないんです。世間を無視するのは、人に優しくないことなんです。それは、ほとんど面白くないことと同義なんです。」



 又吉さん、凡人を描ききったなあ・・・と思わせる場面でした。そうなんです。結局、凡人である限り世間を無視することはできないのです。この話には救いのある解決などなくて、この場面で凡人と天才の住む世界の決定的な違いが示されます。それが「真実」なのだから、この終わりしかない。私はそう思いました。

a1080_000044.jpg

 天才と凡人を対比する印象的な描写がありました。「いないいないばあ」の場面です。

 私たちは、赤ちゃんをあやしたり、笑わせようとする時、「いないいないばあ」をすると思います。どうして「いないいないばあ」なんだろう、とか、「いないいないばあ」よりもっと良い笑わせ方はないかな、とか、そんなことは考えないと思います。

 ですが、天才の神谷さんは違いました。

「いや、あれは赤ちゃんに対する定番で、面白いとか、面白くないとかじゃないですよ」
「いや、あれは面白くないわ」
神谷さんは、「いないあいないばあ」を理解していないのかもしれない。どんなに押しつけがましい発明家や芸術家も、自分の作品の受け手が赤ん坊であった時、それでも作品を一切変えない人間はどれぐらいいるのだろう。(中略)一切ぶれずに自分のスタイルを全うする神谷さんを見ていると、随分と自分が軽い人間のように思えてくることがあった。



 私はこれまで、「いないいないばあ」が何なのかも知らずにそれをしてきました。「いないいないばあ」よりも赤ちゃんをあやすのによい言葉はあるか?と尋ねられても、何も思い浮かべることができません。

 定番を、定番のままに受け入れてきたのですね。これが、「凡人の発想」でしょうか。それに対して、定番などどこにも存在していなくて、自ら「いないいないばあ」を超えていこうとする、それが「天才の発想」です。

「いないいないばあ」を知った僕は、「いないいないばあ」を全力でやるしかない。それすらも問答無用で否定する神谷さんは尊い。でも、悔しくて悔しくて、憎くて憎くて仕方がない。


 徳永の言葉は、私たち凡人の思いを率直に代弁しているようでした。どんなに頑張ったって、天才にはなりえない。それなのに、心のどこかで張り合って、比べてしまう。そんな少し醜い気持ちが、ありのままに吐露されています。

 第2回はここまでです。まったくもってやりきれない話です。ですが、このテーマに向かい合うことができた又吉さんには拍手を送るべきだと思います。次回は、3つ目のテーマです。ある意味、「天才と凡人」以上に乗り越えられない、そんなテーマかもしれません。



又吉直樹さん「火花」を読む 

第1回 「平凡と非凡」
第2回 「世間と孤独」 (今回です)
第3回 「自分と他人」
スポンサーサイト

現代日本文学, 又吉直樹,



  •   04, 2015 22:29