HOME > スポンサー広告 > title - 又吉直樹さん「火花」を読む #3 「自分と他人」HOME > ブックレビュープレミアム > title - 又吉直樹さん「火花」を読む #3 「自分と他人」

スポンサーサイト

 --, -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





  •   --, -- --:--
  • 又吉直樹さん「火花」を読む #3 「自分と他人」

     05, 2015 17:47

     3回シリーズで、又吉直樹さんの「火花」を読んでいます。今日は第3回です。

    火花 (文春文庫)
    火花 (文春文庫)
    posted with amazlet at 17.02.11
    又吉 直樹
    文藝春秋 (2017-02-10)
    売り上げランキング: 24


    前回のおさらい #2 「世間と孤独」

     神谷さんは天才ですが、世間から認められているわけではありませんでした。天才であるがゆえに、凡人の集まる世間からは認められず、孤独でいるということです。一方、凡人の主人公、徳永にとっては世間はどうしても切り離せない存在でした。徳永は、世間から逸脱して生きる神谷さんを、どこか羨ましく、どこか恨めしく見つめます・・・。



    #3 自分と他人

     神谷さんといるうちに、自分の凡人さを痛感して落ち込む徳永。自分はどういう人間なのだろう、どう生きればいいのだろう。そんなことを考えるようになります。そこに浮かび上がってきたのは、「他人」の存在です。

     この作品では、「他人」の存在が大変うまく取り入れられています。キーワードは「批判」です。他人を批判するとはどういうことなのか。そして、他人にされる批判とはどういうものか。見えてくるのは、「結局は自分」、というなんとも単純なメッセージでした。

     まずは、他人を批判することについて。この作品には、「ネットの批判」が重要な役割を果たしています。世間を気にしながら生きる徳永にとって、ネットの批判は世間の代表格です。自分がネットでどういったことを言われているのか、どうしても気になってしまう徳永。徳永は、「面白い」の指標をそんな世間の声に求めていました。しかし、神谷さんは・・・

    「ネットでな、他人のこと人間の屑みたいに書く奴いっぱいおるやん。作品とか発言に対する正当な批評やったら、しゃあないやん。それでも食らったらしんどいけどな。その矛先が自分に向けられたら痛いよな。」



     徳永も、ネットの批判が無責任で何の根拠もないことは分かっています。それでも、気にしてしまうのが人間というもの。しかし、神谷さんは容赦ありません。彼は、無責任な批判に対し、こんなことを言います。

    「受け流すんじゃなくて、気持ちわかるとか子供騙しの嘘吐いて、せこい共感を促して、仲間の仮面被って許されようとするんじゃなくて、誹謗中傷は誹謗中傷として正面から受けたらなあかんと思うねん。めっちゃ疲れるけどな。



     誹謗中傷を正面から受ける。とても厳しいことを言っています。その前の言葉が胸に刺さりますね。「せこい共感を促す」ことも、彼にとっては許せないことなのです。人を傷つけないように、オブラートに包んだような言い方をしたり、無理やり褒めてみたり。そんなことは、私もよくやります。神谷さんは、それを許さない。要は、自分や他人に嘘をつくような生き方は許さないということです。

     そして、神谷さんはこう続けました。

    「人を傷付ける行為ってな、一瞬は溜飲が下がるねん。でも、一瞬だけやねん。そこに安住している間は、自分の状況はいいように変化することはないやん。他を落とすことによって、今の自分で安心するという、やり方やからな。(中略)だから、ちゃんと言うたらなあかんねん。一番簡単で楽な方法を選んでもうてるでって。でも、時間の無駄やでって。



     ネットをしている方なら、一度はネット上の何かに傷付いたという経験がおありだと思います。あるいは、自分が直接罵倒された、という方もいるかもしれません。腹が立つし、悲しくなるし。私なら、すぐにブラウザを閉じてしまいます。

     でも、それでは何も解決しないということです。ブラウザを閉じても、ましてや暴言に対して暴言を吐き返しても。正面から向き合う、それは一番難しく、険しい道のりです。他人を無責任に批判する人間が、大きな間違いを犯していることに向き合って、正す。そして、自分はそんな道を決して歩まないようにする。肝に銘じたいですね。

    a0027_002806.jpg

     作品の後半、お笑いコンビの解散を決めた徳永に、ネットからは容赦ないコメントが飛びます。

    「誰だよ!」
    「知りません。芸人多過ぎ!」
    「面白くない芸人が解散したことをなぜ伝える必要があるのか?」
    「一瞬テレビ出てたけど、つまんないからすぐに消えたね。」
    ・・・


     笑ってしまいました。実際のコメント欄は、まさにこんな感じだからです。徳永は、彼なりに考え、悩み、不器用ながらも一生懸命に生きてきました。ここにある批判は、そんな彼のことなど全く知りません。こういった批判コメントが、いかに的外れで、いかに本人から遠いところにあるのか、実感することができます。

     腹が立つし、悔しいですよね。例えば、「どうでもいい」と書き込む人は、どうでもいいのになぜ記事を開いてコメントをするのでしょうか。「知らない」「つまらない」そんなことを、言う必要があるのでしょうか。

     批判コメントだけではありません。「がんばれ」「大変でしたね」「ご冥福をお祈りします」・・・。それもまた、無責任です。そんなコメントをしながら、どれだけ相手のことを分かっているのか。もしかしたら、何も分かっていないのかもしれません。

     そんな無責任な他人の声にさらされながらも、私たちは生きていかなければいけません。辛いことですが、解決法があります。自分のことを本当に分かってやれるのは自分だけ。それなら、せめて自分のことを精一杯愛せる人間になる、ということです。

     心無い批判を目の当たりにしながらも、徳永は前を向きました。

    臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それが分かっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。


     素晴らしいな、と思いました。神谷さんに言われたように、彼は誹謗中傷に正面から向き合ったのです。正面から向き合ったうえで、最後は自己肯定につなげた。これは、全ての人間が目指していく生き方なのではないか、と思いました。

     嫌なことから目を逸らして、傷付かないように生きていても何も解決しません。
     嫌なことには正面から向き合って、無責任なことにも正面から向き合って、時には傷付きながら、それでも最後は自分のことを愛してやる。

     他人をけなすのではなく、自分を甘やかすのではなく、「自分を愛する」

     平凡な一人のお笑い芸人が、平凡なままでありながらも、これから生きていく道を見つけ、燻る火花を「花火」に変えた―。私もまた、自分を愛せる凡人でありたいと思うのです。

     


    又吉直樹さん「火花」を読む

    第1回 「平凡と非凡」
    第2回 「世間と孤独」
    第3回 「自分と他人」 (今回です)

     3回とも読んでいただいた方、ありがとうございます。実は3回全て読むと、7500字超えというかなりのボリュームになります(400字詰め原稿用紙約19枚分です)。自分の思いを混ぜた部分が多くて、レビューというよりは勝手な感想のようになってしまいました。それだけいろいろな思いを掘り起こされる作品なので、気になった方はぜひ読んでみてください!
    スポンサーサイト

    現代日本文学, 又吉直樹,



    •   05, 2015 17:47
  • 上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。