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教科書への旅 #4 「少年の日の思い出」 ヘルマン・ヘッセ

 10, 2015 18:38
教科書

 「教科書への旅」のコーナーです。これまで3回は小学校の教科書から紹介してきましたが、今日は中学校の教科書から作品を紹介したいと思います。ノーベル文学賞を受賞したドイツの詩人・小説家、ヘルマン・ヘッセのこの作品です。

少年の日の思い出1

 「少年の日の思い出」(中学1年生)です。教科書で読んだ、という方はどのくらいおられるでしょうか。題名では思い出せなくても、「クジャクヤママユ」「エーミール」という言葉で思い出す方も多いと思います。蝶の収集に青春をつぎ込んでいた一人の少年が、自らの青春を汚してしまう、あのお話・・・。



あらすじ


 
 2人の大人が、蝶の標本を見ながら蝶を探して駆け回った幼年時代を思い返しています。しかし、そのうちの1人の様子がなんだかおかしいのです。

 「僕も子供のとき、むろん収集していたのだが、残念ながら自分でその思い出をけがしてしまった」
 彼は苦々しい顔で、蝶の箱のふたを閉じます。そして、おもむろに少年の日の思い出を語り出したのでした。

 子供のころ、蝶の収集に没頭していた彼。彼の隣の家には、エーミールという少年が住んでいました。技術に長け、見事なコレクションをほこるエーミール。彼は自分の作品をエーミールに見せますが、こっぴどく批評され、獲物に対する喜びを大きく傷つけられてしまいました。

 ある日、彼はあるうわさを聞きます。エーミールが、非常に珍しい蝶、クジャクヤママユを持っているというのです。興奮を抑えられない彼。蝶を一目見たいと思った彼は、エーミールの部屋に侵入します。美しい蝶の姿に魅入られた彼は、生まれて初めて盗みを犯しました。

 急いで引き返した彼は、ポケットの中からクジャクヤママユを取り出します。ポケットから出てきたのは、羽がばらばらになってしまったクジャクヤママユの残骸でした―。追いつめられた少年は、いったいどうなるのでしょうか・・・。

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この作品のポイント



 ポイントは2つあるかと思います。まずは、彼の盗みという行為について。生まれて初めて盗みを犯した彼でしたが、それはお店で万引きをしたというのとは違った類です。そこには、美しさに魅せられた、という特徴がありました。

美に魅せられた少年が盗みを犯してしまう、人間存在の本質的な問いを扱っており、中学校教材の古典的作品になっている。教訓的に流されることなく、美に対する人間の持つ「情念」に共感するところから読み深めさせたい

(「国語教育研究大辞典」 国語教育研究所 明治図書出版 1991)

 そして、盗みを犯したあとの謝罪の場面。美に魅入られ、盗みを犯した彼は、下劣な盗人として断じられることになります。一度犯した行為は決して消えることなく、取り返しがつきません。美しい蝶とは正反対の「醜さ」というレッテルを、彼は背負うことになりました。一生はがせないレッテルです。

せいいっぱいのわびも、償いも、受け入れてもらえないことがある世の中のきびしさ。(世に存在する冷徹さの認識

(「『少年の日の思い出』のよみと授業」 板垣昭一 えみーる書房 1992)

再読!「少年の日の思い出」



 あまりの美しさに、我を忘れてしまったという経験はおありでしょうか。我を忘れた時、人間の理性は吹き飛び、「本能」が腹の底から湧き上がってきます。そんな状態になったら、人間は自らをコントロールすることはできません。

 蝶の収集に青春の全てを傾けた少年。まだ人格も固まりきっていない時期に、蝶の美しさの虜になってしまいました。美しい蝶とは対照的な気持ちが、彼の心には生じていたようです。

そうした微妙な喜びと、激しい欲望の入り交じった気持ちは、その後、そうたびたび感じたことはなかった



 これは彼が盗みを犯す前の場面ですが、「激しい欲望」ということばが出てきます。この後彼が盗みを犯すことを暗示している、いわゆる「フラグ」です。

 美しいものが厳然と存在していて、それに対する人間の本能は「激しい欲望」。その性質が正反対なことに気付かされます。そして、私たちは心の奥底に皆「激しい欲望」を持っているからこそ、このあとの盗みの場面が心に刺さります。

四つの大きな不思議な斑点が、挿絵のよりはずっと美しく、ずっとすばらしく、僕を見つめた。それを見ると、この宝を手に入れたいという、逆らいがたい欲望を感じて、僕は、生まれて初めて盗みを犯した。(中略)そのとき、さしずめ僕は、大きな満足感のほか何も感じていなかった。


 盗みを犯した場面です。このわずか2行あとには、こうあります。

その瞬間に、僕の良心は目覚めた。僕は突然、自分は盗みをした、下劣なやつだということを悟った。


 少年がいかに、我を忘れ、美に魅入られていたのかがよく分かります。私は「美の魔力」というか、美への恐怖すら感じました。美しさはその存在自体には何の罪もないのですが、人間に我を忘れさせる魔力を持っています。そこに立ち向かえる人間はいるでしょうか。私は立ち向かえないと思います。私が少年なら、おそらく同じように蝶に手を伸ばしていたと思います。

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 この話が残酷なのはここからです。盗んだ蝶をつぶしてしまった彼は、母親に促され、エーミールのもとに謝りにいきます。自分が大嫌いだったエーミールです。謝りに行くという時点で相当プライドはボロボロだったと思いますが、エーミールからかけられた言葉は、それ以上に辛辣でした。

「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」

 「そんなやつ」。私なりに解釈すれば、蝶の持つ美しさを微塵も理解することができず、嫉妬から人の部屋に忍び込んで、蝶を盗んで潰した下劣きわまりない人間、というところでしょうか。

 少年は蝶の美しさをよく理解していました。その美しさに魅入られていたからこそ、部屋に忍び込んでしまったのです。嫉妬して蝶を盗んだのではなく、美しい蝶に思わず手が伸びてしまったのです。

 ですが、そんな言い訳はなんの意味もありません。蝶を盗んだ瞬間、彼はエーミールのいうような「そんなやつ」になってしまいました。蝶の美しさとは全く持って正反対の、「醜い存在」に彼は突き落とされてしまいました。

僕は悪漢だということに決まってしまい、エーミールはまるで世界のおきてを代表でもするかのように、冷然と、正義を盾に、あなどるように僕の前に立っていた。彼はののしりさえしなかった。ただ僕を眺めて、軽蔑していた。


 世界のおきてを代表するように・・・という比喩が印象的です。一度間違いを犯した人間が、一生その汚点を背負い、軽蔑され続ける。それは、今の社会で考えても明らかです。その行為の裏にあったことなど、他人には分かってもらえません。汚点だけが、汚点として残り続ける。「世間の冷徹さ」が象徴されています。

 物語の最後、少年はあんなに魅了され、大切にしていた蝶のコレクションを粉々に押しつぶしてしまいました。どうして蝶をつぶしたのか、ここも考えてみるところです。

 少年にとって、蝶は美しい存在ではなく、自らの醜さを映す存在に変わってしまったのでしょうか。
 醜い存在に堕ちてしまった少年の瞳は、もう蝶を美しいものとして捉えなくなったのでしょうか。
 自分が醜い存在になってしまったから、もう美しい蝶を所有している資格はないと思ったのでしょうか。

 いろいろな解釈ができる、秀逸なエンドですね。少年はただ美しいものに魅入られ、夢中になって追いかけていただけでした。それなのに、どうしてこんなことになったのでしょう。周りのことが一切見えなくなる青春は、例えるなら長い長い夢のようなものです。その夢から覚めるというのは、人間にとって一番残酷な瞬間なのかもしれません。



教科書

 ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」を紹介しました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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