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  • 桜にざわわ -『桜の森の満開の下』 坂口安吾

     12, 2015 18:02

     今日は大学の近くにある某有名観光地で桜を見てきました。身動きも取れないような人・人・人で大変でしたが、言葉も忘れるくらいの美しい桜でした。そんな満開の桜の下を歩きながら、ふと思いつきました。「今日のブログでは、あの作品を取り上げてみようか」、と。

    桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)
    坂口 安吾
    講談社
    売り上げランキング: 28,476



     近現代文学を代表する作家の一人、坂口安吾の「桜の森の満開の下」です。美しい桜を見てきた私が選んだのだから、きっと美しい桜が出てくる話なのだろうと思われた皆さん、ごめんなさい。実際は、真逆です・・・。



    恐ろしい桜



     この時期に日本人の心を和ませる桜。きれい、美しい、そういう風にほめたたえられる桜ですが、別の見方をすることもできます。「桜は不安の象徴」 「桜を見ると恐ろしくなる」こういった感覚を抱く方はおられないでしょうか。

     この話の主人公はある山に暮らす山賊です。山という山、木という木、谷という谷は全て自分のものだ!と言い放つ豪胆な男で、通りかかるものの身を容赦なく剥いで、殺すことも苦にしませんでした。そんな恐ろしい男が、たった一つだけ恐れたものが、なんと「満開の桜の森」だったのです。

    花びらがぽそぽそ散るように魂が減っていのちがだんだん衰えて行くように思われます。それで目をつぶって何か叫んで逃げたくなりますが、目をつぶると桜の木にぶつかるので目をつぶるわけにもいきませんから、一そう気違いになるのでした。


     今日私が見てきた桜も、満開からやや散り始めといったところだったのですが、この「散る花びらは魂が減るよう」という感覚はすごく分かります。桜を見て不安になる、というのは、日本人の生命観を色濃く反映したものなのだと思います。日本人の生命観、といっても私は何も知識を持ち合わせていないのですが、なんとなく桜を見て心がざわざわする感覚を覚えた方はいらっしゃらないでしょうか?

     さて、そんな男でしたが、道で出会った女を無理やり連れ込み、自分の女房にしていました。男は8人目の女に目を付けました。女の亭主を殺し、女を女房にします。ところが、この女はそれまでの7人とは違いました。女は美しすぎたのです。男は何かに吸い寄せられるように女を女房にしていました。そして、女を連れて行くのですが・・・。

    美の奥に潜むのは



     家に連れ込むやいなや、女は衝撃的な一言を発しました。「あの女を斬り殺しておくれ」-。なんと、男の他の女房たちを殺せと言うのです。

    けれども男は不安でした。どういう不安だか、何が、不安だか、彼には分からぬのです。女が美しすぎて、彼の魂がそれに吸いよせられていたので、胸の不安の波立ちをさして気にせずにいられただけです。


     桜の話をしていたので、勘の良い方は気付かれたと思います。この場面も、桜に覚える不安の原因を説明している部分にあたると思います。

     美しすぎて、不安になる。美しすぎて、心が吸い寄せられる。これも人間の性だと思います。この作品の例えを借りていえば、「美しさに魂が吸い寄せられる」ということです。桜に感じる不安と、目の前の美女に感じる不安が似ている。男もそう気付きます。

     桜を美しいものだと思い、お花見をするようになったのは時代が進んでからであり、昔はそんな風習はありませんでした。この作品の冒頭では、そのことが指摘されています。江戸時代は桜の下に人が集まっては喧嘩をして、酔っぱらっては汚物を吐いていた。だから、桜を恐ろしいと思う人はいても、絶景だと思う人はいない―そういう風に書かれています。

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     桜が恐ろしい、などと言ったら今では笑われそうです。「まんじゅうこわい」という有名な落語がありますが、あの話のように冗談で言っているのだろう、ということになるかもしれません。

     ですが、この話を読んで感じるのはむしろ桜が恐ろしいという感覚の方が正常なのではないか、ということです(私は今日桜を見てきて恐ろしい、とは感じませんでしたが・・・)。それぐらい見事に、桜に感じる恐れを美女も絡めながら上手く描写しています。そして、その恐れの原因は何なのか。作品の終盤ではこう書かれています。

    桜の森の満開の下の秘密は誰にも今にも分かりません。あるいは「孤独」というものであったかもしれません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。


     
     女をおぶりながら男は山に帰っていたのですが、桜の木の下を通った時、男は背中におぶっているのが鬼であると気付いてしまいます。無我夢中でその鬼の首を絞め殺すのですが、我に返った時、目の前にいたのは鬼ではなく女でした・・・。

     そのあとに出てくるのが上の部分です。男が孤独になってしまった、というのにはそういう事情がありました。桜に感じる不安や恐れが、「孤独」ということばに収束していくこの場面は見事です。そして、このあとのラストはもっと見事です。美しさと儚さと恐ろしさを全て詰め込んで、桜と美女に感じる不安という設定も見事にここに収束されています。

     短編小説で、青空文庫でも読むことができるので、ラストが気になるという方はぜひチェックしてみてください。

    桜散るころ



     きれいな桜を見てきて、こんなブログを書いている私のセンスってどうなのだろう・・・と書きながら思っていました。先程も言いましたが、桜を見ながら恐ろしいとおもっているわけではありませんよ。桜を見ているときは「わあ、きれい」としか思っていないのですが、こうやって書いていると、桜に感じる不安の方が実は本質なのではないか、と思えてくるのです。

     日本では、桜が咲く季節は出会いと別れの季節と重なります。この重なりは奇跡のようです。新しい環境に踏み出す人の、期待と不安が入り交じる気持ちと、桜のあのおぼろげな桃色が重なって見えます。

     「わあ、きれい」といいながらお花見をするのも十分に楽しいのですが、こうやって人間の心情を桜に投影してみると思わぬ気持ちになれます。私はこんな作品を読んだ後なので、あんなにきれいだと思っていた桜の花びらが舞う景色が、今は桃色の涙のように見えてしまいます。

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    が咲いているこの季節に読みたいですね

     決して楽しい話ではないですし、人もたくさん死ぬのですが、不思議と不快にはなりません。不安や恐ろしさといったものが、読み手の心を貫き通すからだと思います。散りゆく桜の木の下で読むと感傷に浸れそうです。

    ◆殿堂入り決定

    「最果ての図書館」は『桜の森の満開の下』を「シルバー」に認定しました。おめでとうございます!



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    坂口安吾, 現代日本文学,



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