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他律的な作用としての恋 -『女のいない男たち』 村上春樹

 14, 2015 23:59

 「女は上書き保存、男は名前を付けて保存」とは、男女の恋愛におけるスタンスを表わしたことばだそうです。本当に言い得て妙ですね。村上春樹さんは、このことばを知っているのでしょうか。

女のいない男たち
女のいない男たち
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村上 春樹
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 昨年刊行された短編集、「女のいない男たち」です。タイトルから想像できる部分もあるでしょうか。女を失った男が、その存在と決別することができず、「名前を付けて保存」したまま孤独へと突き進んでいく―そんなお話です。



降りてきたタイトル



 この短編集は村上さんのまえがきから始まります。「自分の小説にまえがきやあとがきをつけるのがあまり好きではなく・・・」とおなじみ(?)の文言で始めつつも、どうしても説明しておきたいことがある、ということでまえがきを加えられたそうです。

本書のモチーフはタイトルどおり「女のいない男たち」だ。最初の一作(『ドライブ・マイ・カー』)を書いているあいだから、この言葉は僕の頭になぜかひっかかっていた。何かの曲のメロディーが妙に頭を離れないということがあるが、それと同じように、そのフレーズは僕の頭を離れなかった。


 自分の短編集には共通のモチーフがあると語る村上さん。今回は、そのモチーフをそのままタイトルにされたのです。頭を離れない、という言葉の通り、この「女のいない男たち」というモチーフは作品全体を通してかなり意識されています。

 そして、短編の最後には書き下ろし作品、「女のいない男たち」が収録されました。この短編で、村上さんが「女のいない男たち」に抱いているイメージが明かされます。書き下ろしの短編を付けるあたり、村上さんは相当この「女のいない男たち」という言葉に惹きつけられたようです。もはや、「憑りつかれた」と言ってもよいくらいでしょうか。

 私としてはすごく好きな短編集でした。どうして好きだと思ったのか、それは最後の短編を読んでいて分かったような気がします。何だか「ノルウェイの森」を再読してみたくなりました。私にとっては、ノルウェイの森の「参考書」のような位置づけの、そんな本になりそうです。

器官による恋



 共通のモチーフで描かれる5+1の短編集。不倫、欲求不満、死別・・・と様々な状況から「女のいない男たち」を描いています。

 最初の「ドライブ・マイ・カー」は、ある男が、亡くなった妻の不倫相手と友達になるという設定の話。亡くなった妻の不倫相手ですから、当然憎くて仕方ない相手です。「その人を懲らしめようと思った」と主人公は素直に告白しているのですが、待っていたのはその人と「友達」になるという奇妙な状況でした。男に何が起こったのでしょうか・・・?

 次の「イエスタデイ」は、関西出身でありながら標準語を話す主人公と、東京出身でありながら関西弁を完璧にマスターした友人の話。(前者はそんなに珍しくありませんが、後者はかなりの変人です。彼は、ビートルズの「イエスタデイ」に関西弁でとんちんかんな歌詞をつけて口ずさんでいます)。友人はある日主人公に言います。「なあ、そしたらおれの彼女とつきおうてみる気はないか?」・・・。

 最初の2つの短編のあらすじを簡単に書きました。久しぶりに読んだからか、思っていた村上春樹さんの作品とは若干雰囲気が違いました。素直で、読みやすく、理解しやすいのです。「女のいない男たち」というスパイスで存分に引き立てながらも、なだらかに、すーっと読める、そんなお話が2つ続きました。

 作品が激情を迎えるのは、真ん中の短編、「独立器官」でした。独立器官・・・タイトルからすでにそそられます。この作品は、簡単に言うと「恋のせいで食事がのどを通らなくなり死んでしまった男の話」です。

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 私が捌き切れるような話ではないのですが、簡単に見ていきたいと思います。恋を煩っている1人の医師がいました。彼女を好きになりすぎまいとしつつも、同時に彼女を失いたくないと思う、そんな自己矛盾に彼は陥っています。

 彼女を失ったら、自分自身もどこかに失われてしまう

 彼はそんな風に言います。女性に傾倒しすぎるあまり、その女性の存在があまりにも大きくなり、自分で自分を支えることができなくなってしまった。そんな状態の彼がたどり着いたのは、「自分とはいったいなにものなのだろう」というこの世で一番恐ろしく、のめり込んではいけない問いでした。

「ある程度の年齢になり、自分なりのライフ・スタイルみたいなものも身につき、社会的地位もいちおうできて、そうなってから自分と言う人間の価値に深い疑念を抱くようになるのは、別の意味でこたえるものです。自分がこれまでに送ってきた人生が、まったく意味を持たない、無駄なもののように思えてきます」


 50を過ぎたあたりでこの問いにたどり着くというのはある意味致命的です。この時点で、彼の生きる支えは彼が傾倒していた女性だけでした。ですが、事態は残酷な結末を迎えます。

 女はいわゆるただの「金ヅル」として男を利用していた
 深くショックを受けた男は、拒食症になり、死んでしまった

 2行でまとめるとこうなるのですが、実際の村上さんの描写はより克明に、男の果ての姿を描きます。「自分の肉体がゼロに接近していく喜び」という言葉で語られる男の最期は壮絶です。

 そんな結末を見せた後で、村上さんはこう書きます。

すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき備わっている。(中略)すべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なことで嘘をつく。

その女性が(おそらくは)独立した器官を用いて嘘をついていたのと同じように、もちろん意味あいはいくぶん違うにせよ、渡会医師もまた独立した器官を用いて恋をしていたのだ。それは本人の意思ではどうすることもできない他律的な作用だった。

 

 女は上書き、男は名前を付けて保存と冒頭に書きましたが、そんなことを思わせる部分です。目の前の女性に自分の全てを預け、村上さんのいう「他律的な作用」によって恋愛に走り、そしてそれを忘れられない男性。一方の女性は、全てを預けるという訳ではなく、どこか冷静な目を持ちつつ、大事なところで嘘をつく、と。男女をそんな風に動かしているのが、「独立器官」だというのです。

 世の中のどれだけの男性と女性がこの部分に共感できるか分かりませんし、反論したい人もいるかと思います。私の個人的な考えを言えば、ここは共感できる描写でした。男の部分も、女の部分もです。

卑屈で矮小



 卑屈で矮小、軟弱で孤独

 村上春樹さんの作品に出てくる男性はこんな感じでしょうか。何だかひどい言葉を並べてしまいましたが、この言葉が一番しっくりくるようでどうしようもありません。

 そういう男たちに嫌悪のまなざしを向けて、「なんてくだらない奴らだ」と思って村上春樹さんの作品を読むこともできます。そういった読み方をする人も多いと思います。

 ただ、この作品の最後を読んでいて思ったのは、「結局、全ての男がここに帰っていくのだろうな」ということでした。男が皆本質では卑屈で矮小で軟弱で孤独・・・なんて言うとこの世に絶望しそうですが、そう思わされてしまうのです。

女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ。

いったん角を曲がってしまえば、それがあなたにとっての、たったひとつの世界になってしまう。その世界ではあなたは「女のいない男たち」と呼ばれることになる。どこまでも冷ややかな複数形で。


 これを読んだすべての男性が打ちのめされそうな、そんな最後の短編でした。「ノルウェイの森の参考書に・・・」と思った理由はこのあたりにあります。

 とても面白いのが、タイトルを入れ替えて「男のいない女たち」にすると、全く違った話ができあがるということです。私は「男のいない女たち」という話も想像しながら、ページを閉じました。

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と女、あらためて見直してみませんか?

 共通のモチーフを、様々な角度から描いていく村上春樹さんの短編集。メロディーが頭から離れないように、と例える通り、この「女のいない男たち」というタイトルが徹底的に突き詰められます。

 
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